Candygrace

Life is beautiful whatever comes.

何もしないことの贅沢! 何も決めない自由という最高の贅沢な時間

ケセラセラ: "Que Sera, Sera"

Que Sera, Sera, Whatever bill be, bill be... この歌を最初に知ったのは、母が台所で口ずさんでいた時でした。ケセラセラ?それなあに?そう聞くと、「なるようになるさ、ってことよ。」と答えてくれたのだけはしっかり覚えています。小学生低学年だったと思います。

ケセラセラのスピリットで事の成り行きを任せる姿勢って実は一番ラクなんですけど、そう手放せないところから悩みが生じるのでしょうね、きっと。そこで、昨日の祝日は意図的にすべての電子機器からdisconnected、メールもテレビもNetflixも辞め、遠ざかって過ごすと決めました。朝軽くエクセサイズして、家中を掃除機かけて、愛犬とお散歩行って帰宅してもまだ11時。時間があること、何もしないでいいことが最高に贅沢に思えました。
幸せになるための努力なんてしなくてもいいという何にも捕らわれない、囚われていない感覚、約束があって出かけなければならないという縛り、やらなきゃいけないことがるという罪悪感、そういうものからすべて解放された状態でした。
外は風がすごくて、花粉症の私としては二度目の散歩に出ていく気にもならず、読書に時間を割きつつ、時折トロトロと転寝もしつつ、春休みで一時帰宅している下娘がいるため炭酸のジュースが冷蔵庫に常備してあるので、それを飲ませてもらったりもして、「怠惰」に過ごしました。

無理に努力する必要ない贅沢

グダグダする時間が最高に贅沢に思えました。私の足元で安心しきって寝ている愛犬を時間を気にせず見つめていられる、撫でていられることが私にとっては至福の時間と思えました。そして、複数の本をあっちを読んだり、こっちを読んだり、順不同で気ままにランダムに読み漁りました。正しい読書の仕方とは言えないかもしれませんが、これがまた、超贅沢に思えました。うわの空で読んでも、”先生”に叱られることはありませんし、課題に追われている背景もなければ、仕事に関係する勉強でもありませんのでね、いい加減な読書でも、誰にも責められませんもの。

無理に努力する必要のない、幸せになるための努力なんてしなくていいという感覚がとても贅沢に思えました。何にも追い立てられていない状況、やることがあって、あるいは約束があってという状況ではないのも、贅沢だと思えました。

旅行に行かなくても、ファインレストランに行くことがなくても味わえる真の贅沢だと心がリラックスできた一日を過ごしました。
無理に努力しないことの贅沢、怠惰に過ごせる贅沢、これが一番心が喜ぶことだと思います。先行き不安に捕らわれることもなく、過去を憂うこともなく、カッコつけることもなく、緊張することもなく、プレッシャーもなく、ケセラセラと思える心の状態って最高の贅沢だと思うのです。

その贅沢であれば、いつでも自分の心の持っていきようで手に入るものですもの。たまには思いっきりこうした怠惰という贅沢に浸るのも決して悪いことではないでしょう。むしろ、この種の贅沢が一番心が喜ぶ、幸せだと感じることだと思います。