Candygrace

Life is beautiful whatever comes.

腐らない、追い込まない、無理はしない自分軸の構築....

圧倒されてばかり~

米国Restonに来て2か月が経ちました。資源国の豊かさとオープンなカルチャーを謳歌する一方で、日本でさえ15年超ペーパードライバーだったところから、いきなり運転(しかも左ハンドル)することとなったり、医療システムの日本との相違に戸惑ったり、いろいろな面でまだ学習調整期間といったところ。元来、素早く物事を把握するタイプではなく、じっくり派なので、時間もかかっています。もう若くはないという点でも柔軟性や俊敏性に欠けるのかもしれません。柔軟性は幾つになっても持っていたいと思うのですけどね。人は幾つになっても変われる!と信じていますから。

私、この国でやっていけるだろうか~という疑問が頭をよぎることも多々ですが、ようやっと最近、楽しみつつ取り組もうという気持ちになってきました。あれもやらなきゃ、これもわかるようにならなきゃ、というプレッシャーと「どうせ私なんて...」風のイジケの気持ちで、ブルーになったりもしました。一つ、気持ちの転機を支えてくれたのは、下の娘とLINE電話で話した時に「アメリカに居ることを精一杯活かさなきゃ勿体ないよ。ママはママだもん、胸張ってママでいて。」と言われたことでした。何ともない会話でしたけど、そうだよね、とすんなり心に入ってきました。自分でもそう思わなきゃ、と多少自分を追い込みもしていましたけど、追い込むのって効果なく、誰かにはっきり言葉にしてもらうことで、温かく、素直に受け取れました。親娘逆転の構図、クヨクヨして弱気になっているところを娘に救われました。もうすぐ、試用期間が終わり、正社員登用される下娘ですが、普段は年金他の手続きの事をリマインドしたり、ごく最近まで、家賃滞納(振込を忘れていた?とかなんとか....)で不動産会社から保証人の私のところに電話がかかってきたり(「お嬢様が電話に出られないので....」というのが常)と、まだまだだな~社会人としてと思いつつ、心配でたまらない心境でした。それでも、メンタルでは、すっかり、しっかりした女性になっているのを感じたのは、母親として、それから女性としても嬉しく思いました。

自分が感じていることを肯定するプロセス

自分に自信がないことから、引っ込み思案なります。人と比べて自分を卑下したり、落ち込んだり... 私の悪い点、メンタル弱くなって、小さく固まってしまう、やる気を失くす根源です。根拠のない自信は、ある意味素晴らしい自己肯定で、力になるということを、この歳になって改めて感じていることでもあります。これができないとダメな人間、ここまでのレベルに達しないと自分として自分を認められない、みたいな多少歪んだ基準がずっとありました。ある意味ではこうしたベンチマークを設定することで、自己啓発的に良い効果があることもありましたけど...。でも、時として、全く真逆に働いて、だから私はダメ人間という帰結に自分で自分を苦しめることもあります。バカみたい、と笑えるようになるといいのですけどね、心から、いつの日か。

まずは、自分が感じていることを肯定することから...かな、と思っています。否定せず、裁かず、善悪つけず、あなたは今そういう風に思っているのね、とだけ。

自分像の解放と再構築

娘には自分ができなかったことを体験してほしい、精一杯素晴らしい人生を歩いてほしいという一心で、とても”欲張り”な私です。この欲張りスピリットから、二人の娘を傷つけてきたこともあったと思います。朝日新聞のウェブ版で、小4の男の子が自分の長所を書く欄に「生きてる」と書いたことの記事を読んで、ずんと来ました。そう、五体満足で生まれてきたことそのものが、もうすでに素晴らしいこと、出産のあの日に感じた原点に戻ることができました。

喧嘩ばかりする上娘、お互い、わかってくれないという気持ちが心底にあるようで、難しいこともあります。ダメダメな母親のレッテルを貼られる思いがこみ上げてきて、トホホな気持ち(ママはできることをママなりにしてきたのに)になり、私は最低な母親....と世界から隠れたくなります。こうありたい、こうあるべきという自分像からかけ離れている自分を裁いてしまいます。まずは、裁かず、固執している自分像から解放するところからかな、と思いますけど、まだ、うまく出来ていません。先日にも、上娘から厳しい批判を受けたところです。最近飼い猫くんを飼い始めたのを知って、幼いころ飼っていた私たちの猫の写真をしばらく懐かしく鑑賞した後、数枚の写真を彼女に送信しました。Candy(私たちが飼っていたアビシニアン)にとてもそっくりなAlbus(ハリーポッター好きの彼女らしい)の写真を送ってきてくれたことには、とても感激しました。母親像も子育て一段落した今でさえ、まだ模索しているところがあります。


大らかで、小さなことを気にしない大陸的な懐、あらゆる面でデータが公開されている、誰もが閲覧できる環境、自分で独立して何でも手続きしなければならない、個人の責任がよりシビアに問われるシステム、ダイナミックな自然と資源国の豊かな背景、それから、黙っているのではなく、自分の意見をきちんと言える姿勢等、留学時代に多少なりとも経験したアメリカですが、生活している今、改めて痛感しているところです。自分軸をしっかり持っていることが大切なことを日本にいる時以上に感じています。

この歳になって、アメリカで生活する機会を得たのですもの、腐らない、追い込まないで、自分軸を再構築していこうとやんわり思えるようになってきました。自分の母親像もまた、これから再構築、今さらながらね、どういう母親でいたいか、というか、もっと深いところで母娘を超えた関係を二人と築いていきたいと思います。ここRestonにはいくつかの湖があります。いつか、近くの湖を娘たちと散歩したいと思います。

Lake Thoreau