Candygrace

Life is beautiful whatever comes.

自分を安心させること

先行きの不安

誰もが少なからず持っている先行きの不安、「〇〇になったら、どうしよう」という将来起こるかもしれない不幸な現象を想像して、何も起きていない今、不安に駆られてしまう、安心していられなくなってしまう境地に陥ります。つまり、幸せだとは感じることができません。いつも、先行き不透明感に襲われて、不安がこころから一揆しない、心のどこかにいつもはびこっています。どっしり安心していられる境地に憧れます。

では、どうしたら、その「安心感」は手に入るのでしょうか。

不安から抜け出すべく、生産的な時間を過ごすべく、手元にある書籍を数冊読んで、考えました。

目の前に置かれたことを受け止め、向き合っていけば、いい感じに進む。

幸せになる!という決断。

決心したら、クヨクヨ考えず、自分の出した答えを正解にする。

取り合えず、今まで見つけたものを列挙しましたけど、本と向き合って、言葉に出会う中で、不安の対処の仕方を学ばされます。自分を安心させるには、外側に求めるのではなく、内側から。本は本当にいい働きをしてくれます。

自分を安心させること、そして、接する人に安心を与えることができる一日を送りたいと思います。

3秒たったら過去の事:3秒ルール

いかに気持ちを即座に切り替えるか!

グサッとくることを言われて、自信喪失。当初から自信がない、自己肯定感が薄い地盤なところから益々進んで地盤沈下状態。自分でやっていけるのだろうかという不安や自分にはできっこないの逃げの姿勢で不甲斐ない自分を情けなく思うばかり、自己嫌悪の穴に陥って出てこれない。また来たかというこの状態、自分で穴から抜け出すしかない。自分を救えるのは自分だけ。如何に気持ちを切り替えるか、しかも可及的速やかに、これこそが鍵。

「できる人の3秒ルール」を思い出した。3秒たったら過去の事のスピリットでとにかく前を向くよう仕向けてきた過去も思い出した。諦めたらそこでおしまい。マイナスからのスタートでも歩き続けようとじんわり感じている今、決して無理せず、強がらず....凛としていたい。

腐らない、追い込まない、無理はしない自分軸の構築....

圧倒されてばかり~

米国Restonに来て2か月が経ちました。資源国の豊かさとオープンなカルチャーを謳歌する一方で、日本でさえ15年超ペーパードライバーだったところから、いきなり運転(しかも左ハンドル)することとなったり、医療システムの日本との相違に戸惑ったり、いろいろな面でまだ学習調整期間といったところ。元来、素早く物事を把握するタイプではなく、じっくり派なので、時間もかかっています。もう若くはないという点でも柔軟性や俊敏性に欠けるのかもしれません。柔軟性は幾つになっても持っていたいと思うのですけどね。人は幾つになっても変われる!と信じていますから。

私、この国でやっていけるだろうか~という疑問が頭をよぎることも多々ですが、ようやっと最近、楽しみつつ取り組もうという気持ちになってきました。あれもやらなきゃ、これもわかるようにならなきゃ、というプレッシャーと「どうせ私なんて...」風のイジケの気持ちで、ブルーになったりもしました。一つ、気持ちの転機を支えてくれたのは、下の娘とLINE電話で話した時に「アメリカに居ることを精一杯活かさなきゃ勿体ないよ。ママはママだもん、胸張ってママでいて。」と言われたことでした。何ともない会話でしたけど、そうだよね、とすんなり心に入ってきました。自分でもそう思わなきゃ、と多少自分を追い込みもしていましたけど、追い込むのって効果なく、誰かにはっきり言葉にしてもらうことで、温かく、素直に受け取れました。親娘逆転の構図、クヨクヨして弱気になっているところを娘に救われました。もうすぐ、試用期間が終わり、正社員登用される下娘ですが、普段は年金他の手続きの事をリマインドしたり、ごく最近まで、家賃滞納(振込を忘れていた?とかなんとか....)で不動産会社から保証人の私のところに電話がかかってきたり(「お嬢様が電話に出られないので....」というのが常)と、まだまだだな~社会人としてと思いつつ、心配でたまらない心境でした。それでも、メンタルでは、すっかり、しっかりした女性になっているのを感じたのは、母親として、それから女性としても嬉しく思いました。

自分が感じていることを肯定するプロセス

自分に自信がないことから、引っ込み思案なります。人と比べて自分を卑下したり、落ち込んだり... 私の悪い点、メンタル弱くなって、小さく固まってしまう、やる気を失くす根源です。根拠のない自信は、ある意味素晴らしい自己肯定で、力になるということを、この歳になって改めて感じていることでもあります。これができないとダメな人間、ここまでのレベルに達しないと自分として自分を認められない、みたいな多少歪んだ基準がずっとありました。ある意味ではこうしたベンチマークを設定することで、自己啓発的に良い効果があることもありましたけど...。でも、時として、全く真逆に働いて、だから私はダメ人間という帰結に自分で自分を苦しめることもあります。バカみたい、と笑えるようになるといいのですけどね、心から、いつの日か。

まずは、自分が感じていることを肯定することから...かな、と思っています。否定せず、裁かず、善悪つけず、あなたは今そういう風に思っているのね、とだけ。

自分像の解放と再構築

娘には自分ができなかったことを体験してほしい、精一杯素晴らしい人生を歩いてほしいという一心で、とても”欲張り”な私です。この欲張りスピリットから、二人の娘を傷つけてきたこともあったと思います。朝日新聞のウェブ版で、小4の男の子が自分の長所を書く欄に「生きてる」と書いたことの記事を読んで、ずんと来ました。そう、五体満足で生まれてきたことそのものが、もうすでに素晴らしいこと、出産のあの日に感じた原点に戻ることができました。

喧嘩ばかりする上娘、お互い、わかってくれないという気持ちが心底にあるようで、難しいこともあります。ダメダメな母親のレッテルを貼られる思いがこみ上げてきて、トホホな気持ち(ママはできることをママなりにしてきたのに)になり、私は最低な母親....と世界から隠れたくなります。こうありたい、こうあるべきという自分像からかけ離れている自分を裁いてしまいます。まずは、裁かず、固執している自分像から解放するところからかな、と思いますけど、まだ、うまく出来ていません。先日にも、上娘から厳しい批判を受けたところです。最近飼い猫くんを飼い始めたのを知って、幼いころ飼っていた私たちの猫の写真をしばらく懐かしく鑑賞した後、数枚の写真を彼女に送信しました。Candy(私たちが飼っていたアビシニアン)にとてもそっくりなAlbus(ハリーポッター好きの彼女らしい)の写真を送ってきてくれたことには、とても感激しました。母親像も子育て一段落した今でさえ、まだ模索しているところがあります。


大らかで、小さなことを気にしない大陸的な懐、あらゆる面でデータが公開されている、誰もが閲覧できる環境、自分で独立して何でも手続きしなければならない、個人の責任がよりシビアに問われるシステム、ダイナミックな自然と資源国の豊かな背景、それから、黙っているのではなく、自分の意見をきちんと言える姿勢等、留学時代に多少なりとも経験したアメリカですが、生活している今、改めて痛感しているところです。自分軸をしっかり持っていることが大切なことを日本にいる時以上に感じています。

この歳になって、アメリカで生活する機会を得たのですもの、腐らない、追い込まないで、自分軸を再構築していこうとやんわり思えるようになってきました。自分の母親像もまた、これから再構築、今さらながらね、どういう母親でいたいか、というか、もっと深いところで母娘を超えた関係を二人と築いていきたいと思います。ここRestonにはいくつかの湖があります。いつか、近くの湖を娘たちと散歩したいと思います。

Lake Thoreau

クヨクヨから抜け出す!:自分が選んだ答えを正解にする生き方

Better the devil you know....

「上手くいくかどうかわからないけれど、挑戦する勇気」は私の中にまだ残っているだろうか....将来の不安から、あるいは単なる怠惰から安定志向で動けなくなる、動きたいけど怖い、面倒くさいという気持ちが勝ってしまう。Better the devil you know than the devil you don't know.

正解を見つける生き方のアプローチで、何が「正解」かにばかり焦点を充てて考えていたら、クヨクヨしてばかり。あれこれと思いあぐねて結局行動しない。行動に移せない自分と変わらない現状にため息もでてくる。それでも、今の生かされている日々を愛おしく思う気持ちもあって...でも、このままでは終わりたくないという思いも心底に残っていて、完全燃焼で人生を終えたくはない、というところ。

正解を見つけて生きるのではなく、自分が選んだ答えを正解にしていく生き方の姿勢を考えていきたい。

”もしあの時違う選択をしていたら...”:決断に責任を持つ生き方

”The Midnight Library”

久しぶりにファンタジー小説を読みました。実は、ファンタジーだとは知らず、何の先入観もなく読み始めて、アレ、これってもしかしてファンタジー?と思ったところで一瞬ちょっと退きましたけど、読み進めていくうちに自己投影しつつ、考えさせられることも多く、読後はほっこりとした気分になれました。

ディケンズクリスマス・キャロルを彷彿とさせるアプローチでもありました。でも、読み進めていく中で、クリスマス・キャロルの現在・過去・未来の3つのディメンションを経験することから今の自分を見つめ直して、新たな境地で新たな生き方を切り開いていくという帰結ではなく、”選ばなかった人生”を幾つも体験することを通じて、過去の選択の上に成り立っている今の人生(そしてこれからの人生も)を見つめなおすというThe Midnight Libraryでは、Nora(自殺を試みて生と死の狭間にあるミッドナイト・ライブラリーに行く着く主人公)を通して、もし自分だったら....と考えさせられもしました。もし、あの時、別な選択をしていれば、という思いは誰でも多かれ少なかれふと心に浮かんだことがあるかと思います。よその芝生が緑に見えるのと同じく、得ればなかった人生が緑に見えることもあるかもしれません。これって後悔の念にも繋がるものだと思いますが、今しあわせに感じれない場合は特にそういう境地に陥るかもです。

私としては、「もしあの時あーしていれば...」的な後悔はなく、過去の自分の決断の上で今を生きていることを潔く思っています。真摯に受け止めることができています。カッコよく言い切っていますが、今の自分が嫌になることは時折あって、「あー....これだから私ってもう、やってられない、なんておバカ...」のドツボにハマって固まる、やる気を失う、殻にこもって出てこれなくなることはあります。過去に起きたことに囚われてしまうこともあります。でも、しなかった選択への後悔、選ばなかった道への未練はありません。

過去の大小さまざまな無数の決断から成る今

決断には責任も伴うのよ、と、先日下の娘に話したところです。自分のやりたいことがあって、それを追及しているうちに、大学を卒業する(休学後、復学して卒業すると約束していたところでした)ことよりも、そちらで”満足してしまって”(と、娘の言葉を借りると)...という話の流れの中で伝えた言葉です。正直ショックというか、残念な気持ちになることは止められませんでした。それでも、彼女が下す決断であれば、それを尊重したく思います。その思いだけは伝えましたが、自分の決断に責任をもって生きること、とも伝えました。

選ばなかった選択への未練は私自身の人生ではありませんが、ただ一つだけ、どうしても繰り返し訪れてくる思いがあります。娘たちにとっていい影響(環境も含めて)を与えてきただろうかという点です。その時その時にベストだと信じて決断して行動してきた人生ではありますが、その私の決断で、娘たちには負担をかけてきた、普通ではない環境を与えてきたこともあったと思います。離婚したワーママだったことから、シッターさんがお迎えに行く、誰もいない家に帰宅してチンして食べる夕食、冷蔵庫にあるお弁当を持って通う塾等、何も特別なことではないですし、こういう環境の子供たちは他にもいることは確かですけど.....。

私はママみたいにはならない

帰宅してもPCに向かって翻訳をしている私に上の娘がそう言ってきたことがありました。高校生だった頃です。そして、その言葉どおり、”ママみたいにはなっていない”今の上娘ですが、この程、6か月の試用期間を経て正社員になると知らせを受けました。クリエーターとしてフリーでも時折仕事をしているようで、活躍の場があることに感謝です。彼女の過去の選択(転職、ボーイフレンドとの別れと出会い、引っ越し)を遠目で観てきましたが、乗り越えてきた一つ一つの様々なチャレンジから成長してきたことも感じます。下娘のことも、これからの彼女の決断を尊重しつつ、助けが必要な時はいつでも出動できるように準備しておこうと思います。

You don't have to understand life. You just have to live it.

図書館司書のMrs. ElmがNoraにきっぱり言うセリフです。「人生を理解しなくたっていいの、ただ生きるの!」生きてるだけで丸儲けのスピリット。折しも、毎日ウクライナ戦争のニュースをネットで追ってしまう中、娘たちがそれぞれ置かれた所で模索しながらも生きていること、そして私も生かされている事そのものに、それだけで感謝な気持ちになります。どうしても、私の決断で与えてきた環境が娘たちに良くなかったのではないかという思いが強く津波のように押し寄せてくることがあります。その重い思いは津波のように怒涛に押し寄せますが、同じく津波のように退いていくものでもあるのですけど。過去をあれこれ考えてこうやって悩むことは、Mrs.Elmのいう人生を理解しようとする種の事かもしれません。人生を理解しなくたっていい、ただ生きよ、というのはいい得て妙。それから、Noraのbook of regretにある選ばなかった道を思うより、これからのことに目を向けようと思えたのが、この本から得た一番の収穫だったかもしれません。

The only way to learn is to live.

心に浮かばないものはかなわない=思うことは叶う!

<思わないと叶わない>という公式

思ったことが全て叶うわけではないですが、思わないと叶わないというのが、所謂「引き寄せの法則」の基本姿勢。宝くじも買わないと当たらないわけで、例えとしては適切ではないですが、なんとなく似ている構図でもあります。こうありたい像を”思い描く”という行為、宝くじを“買う”という行動、これがないと、叶うことも当たることもやってこない、実現しないという考え方に改めてなるほどと思わされました。

こうありたいという思いをしっかりもっていると、何度挫折しても諦めることはありません。思いが強いが故に、折れて潰されるのではなく、今度こそはと次に目を向けることができます。思った者勝ち、思い続けた者勝ちとでも言えるでしょうか。

行先が明確でない飛行機はどこへ飛んでいけばいいのかわからず彷徨うしかないのに対して、行先が明確に定まった飛行機はその目的地を目指します。途中迷うこともあるでしょうし、右往左往してしまったり、途方に暮れて止まることも一時的にあるかもしれませんが、目的が常にはっきりしていれば、そこを目指すことができます。まずは目的地を定めることからでしょうか。はっきり具体的に目的を定めることがまずは肝心かも。

数年ぶりの新しい帽子!

こういうことを沸々と考えながら、夕刻、新宿を歩いていて、ふと帽子屋さんに出くわしました。以前から、今のヨレヨレになった幾分みすぼらしい帽子が気になっていて、替えの帽子が欲しいなァと思っていたところでしたので、いろいろ試してみました。洋服は新しいものを買うことはなく、古着屋さんで恰好のものを見つけた時のみ、それもよく考えて購入しているここ最近の私としては(ミニマリスト・スピリットでもあり)、帽子を新調するなんて考えもしませんでしたけど....。これからの季節を考えて、UV加工が施しているネイビーの帽子を買いました。よし、これ買う、と葛藤なく決断できました。私にしては珍しいことだったりします。帽子という目的地が明確で、帽子が欲しいという思いが強かったから、実現したという構図だといったら、かなりこじつけに聞こえるでしょうか。

自分史上最強の自分になる

前に、自分史上最高の自分になるというフレーズを自分をリセットする時に使うことについて言及したことがありますが、何故か今日は自分史上最強の自分になるという言葉が浮かびました。

candygrace.hatenablog.com

ワーストシナリオを思い描いて弱気になったり、人と比較して落ち込んだり、何かにつけて心配性な面、過去に囚われてしまうPTSD的な脆弱な部分を振り切るのに、本来多大な労力なんて必要なく、自然と無理なくそういう思いが溶けるようにすんなり消えていく瞬間があります。戻ってきたりもするのですけどね、実は、、、でも、ある時ス~っと消えていくことがあるのは不思議なくらいで、何回か体験してきました。

上手くいくかどうかわからないけれど挑戦する勇気は若い時ほど持ち合わせていませんが、ゼロになったわけでもありませんもの。心に浮かんだことを整理して、思いの強さがあれば、あとは取り組むのみ。決して自分を追い込まず、上手に操縦していけますように。

人魚姫みたいに泡になって消えたいという思いからは脱したところで、この先の生き方を見つめたいと思います。新しい帽子を手に入れたわけですもの!

これから(老後)へのヴィジョン:生き方トランスフォーメーション

デジタル・トランスフォーメーションの加速

ここ最近デジタル・フォーメーション関連の分野の翻訳が続きました。なるほど、ハイブリッド環境(オフィスでの就労とリモートワーク)がポストコロナでは益々進むようです。様々な革新的テクノロジーが飛躍的に進化している今、どこからでも好きな所で働くスタイルを支援する方向は、今後も更に開発されていくと思います。ZoomやTeamsのコミュニケーション、バーチャル・デスクトップ、Bring your own PC, e-Signature等、色々怒涛のようにこの2年ほどで経験してきました。ミーティングに参加するのに自宅のダイニングテーブルから上はブラウスに下はジャージという恰好で参加しつつ、洗濯機を回していたり....。私自身もデジタル・トランスフォーメーションの波に乗っている者だと言えます。

歳の取り方のいろんな姿

昨年末からアメリカで過ごしていています。リタイアした人々が思い思いにリタイアした人生を堪能している様子を観てきました。リタイアしたらこれがしたかったのよ~と組紐のアクセサリー作成キットや大きな編み物機を見せてくれた彼女はNYのメトロポリタン美術館で働いていたそう。ボストンの証券会社で働いていたという彼女は、二人の娘さんのシングル・ママですが、今はトランぺッターとお付き合いをしていて、「ハッピー・リタイア!」と毎日がストレス・フリーだと輝いていました。海辺に、素敵なお天気の元、目前に広がる海を眺めてゆったりする彼女は、「素敵だと思わない、こうして過ごすの」と声をかけてくれました。出会った彼女らからいただいた柔らかなパワーで、先行きばかり不安になる、小さく固まった自分を溶かしてくれるような感覚を覚えました。無理しない自然体の優しいポジティブな姿勢に、人(特に才能のある人やお金の心配のない人)のことを羨ましがってばかりいる自分を感じるばかりか、このままではもったいないと思うようになりました。
自分の心の在り方を見直す時だとも沸々と感じました。

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ペリカン4兄弟が海辺にいて、ずっと波際に佇んでいるのを身近で観ることができました。朝の8時くらいだったと思います。今日が人生で一番素敵な日だと思って過ごそうと自然に思いました。それから、私自身の生き方トランスフォーメーションも始まったばかり、これからをどう過ごすか、ゆっくり考えていこうと思います。