Candygrace

Life is beautiful whatever comes.

道は待つことではなく歩くことでできる

考えてないで実行する!

いつかは自分の思いを言葉にして残したいと漠然と思っていて、人生が思いもよらない方向に導かれる中、このまま潰されて逝きたくないという思いから、そうだブログをはじめようと思い至りました。ITやPC周辺に強いわけではないので手探り状態ですが、私に起こったことをどうやり過ごしてきたか(乗り越えてきたというよりも...)、また今直面して葛藤していること等をシェアすることで、「言えてる。」と思える瞬間や私の場合はこう思うという指針になって誰かに届けばいいと密かに思っています。それから…振り向かずに出ていった二人の娘に対してママの本当の心のうち、話せなかったこと、誤解されてたままでいることを残しておきたいという思いも原動力となっています。

考えないで実行する!ささやかな行動の方が高潔な心構えよりも勇気のいることだと感じます。そして、この行動を習慣とすべく、ブログを始めました。

自分らしく生きたい*Listen to my inner voice.

何か素晴らしいことが起きないかと夢を見ることもこの歳になってもあります。私のマインドセットは”Big picture thinking"だそうで、現実よりもビジョンに重きを置くタイプ。それでも、「身の程を知りなさい」という両親からの強いメッセージを受けて育った影響から自分の”身の程”を懸念するあまり、挑戦することに躊躇する、どうせ自分にはできない、私は所詮ここまでどまり、といったマインドセットと闘うことが多かったように思います。両親を責めているのではありません。見極めてしっかり堅実に生きることという力強いメッセージもここにはあります。

娘たちには自分の信じることを躊躇なく追求してほしいと願い、多くの可能性を秘めていて飛躍していけること、そのために勉強という基礎があること、失敗を恐れて挑戦しないよりも良くない結果に終わろうとも挑戦すること、ママがここで支えるから、という姿勢で子育てに取り組んできました。幸い図書館が近くにある環境だったため、多くの絵本に接することもできました。絵本は子供の世界を拡げる、情緒豊かにするいい媒体だと思います。二人が6歳、4歳の時に離婚を決意しました。浮気とモラルハラスメントで不仲の両親の元にいるよりもいいと思ったのです。当時子育てに専念していた私は派遣の仕事から始めました。必死でしたね、収支を合わすのとシッターさんの手配と仕事で確固たるポジションを得たいという3ミッションで体重も40kgを切っていました。でも娘たちがいることが何よりも支えでした。金曜日にはGirls' Nightという遅くまで起きていて映画観ようの会をしていましたね、いつもアラジンでしたけど。

いろいろあって - この「いろいろ」はまたの機会に折にふれて書くことにしますがー 大学生になり二人とも振り向かずに家を出ていってしまいました。

本当は三人でたおやかに暮らしたかったのですけどね、私としては。でも私に対する反発も特に上の娘は強く、母娘の確執で悩まされている私自身がその辛さを良くわかっていますから、複雑でもあります。取り残されて一人になったのも自分の蒔いた種だと十分受け止めています。

Listen to my inner voice.心の声に耳を傾けて、自分がこれからどう生きたいのか自分にしっかり向かい合うことで これからを自分らしく生きたい。人生まだ捨てたくない。夢を見て何かいいことないかと待っている日々を過ごすのではなく、少しづつでも動こう、自分らしく生きようと思い始めました。

娘との確執*喧嘩ばかり

金銭的なことから(要するに私に財力がない)あるいは掃除洗濯等をすべて私に頼る甘えた生活は大学生になった今、このままではこの娘たちはダメになると思い、自分で生活を管理するよう(つまり出ていくよう)促したのは誰でもない私ですけど。。。。ママをお財布・家政婦扱いしないで!と繰り返して。高校まではお弁当作って健康管理して全てをお世話するのが当たり前、必死にこなして充実していた感もありましたが、大学生になってこの状況が続く(何より、ゴミをフロアに捨てられるのがたまらなく)のは転職してお給料が落ちたストレスもあり私の中で耐えられなくなってきたのです。このままでは私もダメになるかも、そう本気で思えるようになりました。

喧嘩ばかりで心が悲鳴をあげていたのは私だけではないでしょう。申し訳なかったと思います。ママは全然応援なんかしてない、母親として信じられないと言い放たれてズキンときましたが、黙って受け止めることしかできませんでした。そんなことないよ、応援しているし、世界を敵に回しても味方だよとここで言わせて。上の子の心の痛みに寄り添ってあげられないのは確かに母親としては失格ですね。

Home Sweet Home* 立ち返るところ

離婚する時、本当の自分でいられる場所が欲しいと心から願っていたのを良く覚えています。自分の気持ちを隠して演技する必要のない、だめだめの自分、傷ついている自分も受け入れられるところ、双方が素の自分に躊躇なく戻れるところ、自分には絶対危険なことは起きない安心感と理解しようとしてくれる人がいるという安堵感、そうしたものを切に求めていました。相手にそれを提供したいと頑張るばかりで自分は演技しなければいけないという構図のひずみで、ある時プツンと切れた感じ、自分らしくしていていいという場所がここにはない、これからもそのビジョンが与えられない、その姿が浮かばないと気付かされた時、すんなり決断することができました。時間がかかりましたけど、ある日突然決心したのではなく、思考が流れた行先という感じでした。

 娘たちには 今でも傷ついたり休みたいと思ったら帰っておいでと言いたいのですけど、今は届かないようです。ちなみに、下の娘は初彼氏ができて、あっという間に彼氏と同棲を始めています。え?そんなこと許していいの? 周りにはそういわれることもありますが、けじめをつけてきちんとできるなら、決断と行動に責任をもって欲しいと思っています。基礎は堅実に育ててきたという思いから信じてるからね、人生謳歌してほしいけど責任が伴うことは忘れないで、というメッセージを送っています。

 

何かあったら戻ってきて、どうしようもない自分も受け入れられる場所でありたいと思っています。そのためにも、自分自身がきちんと生きなきゃです。

 

キンモクセイの香*許して重荷から解き放たれる

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昨夜の台風で近くの遊歩道のキンモクセイの花が見事に散ってしまって道端に散乱していました。娘たちがまだ幼稚園のころ、公園でオクラのネットにキンモクセイのこの花びらを集めていました。玄関に置いて、においをしばらく楽しんでいましたね。それを思い出して、なんとなく手のひらいっぱいにすくって持って返ってカップに入れてこうやってみました。一人のテーブル。

「赦しとは踏みにじられたスミレの花がそのかかとに放つ芳香」といったのはマーク・トウェイン

このキンモクセイの花びらも昨夜の台風で散ってしまい、遊歩道を行く人に踏まれていますが、私の部屋で甘いいい匂いを放ってくれています。

胸にしまったいろいろなマイナスの思いを解き放し、安らぎを奪われていることから解放されて生きるほうがどれだけ人生の質を高めることか、せてめ今日一日はこのキンモクセイの放つ最後の香りを楽しみつつ、自分を見つめたいと思います。