Candygrace

Life is beautiful whatever comes.

子育てに答えはない...終わりも...ない...?

心配でたまらないよの....

先日母から電話があり、娘たち(私の母ですから母にとっての孫たち)、特に上の娘のことが心配で、気がかりでたまらない様子でした。携帯に数度電話したけど出なかったことから、私に電話してきたわけです。2週間ほど前にボーイフレンドと家に寄ってくれて一緒にランチをして以来、私も特に連絡をしていません。LINEのメッセージも、既読になるまで数日かかることもある彼女ですから、心配が募る、多少イライラも募るのは私としてもとてもわかります。便りの無いのは良い便りといいますけど、やはり心配になります。

母をあまり刺激させたくもないので、2週間前なのを1週間前と故意的に事実を曲げて伝えました。「一週間ほど前にボーイフレンドと一緒に来てくれて、ここでランチした時は元気だったから、大丈夫だと思うよ。私から連絡してみるから。」

母は私のことをちゃん付けで呼びます。久しぶりに聞いた母の声は昔と変わらず穏やかで、80を超えている婆さん声ではなく、一瞬、高校生の時の気分に戻りました。ほんの一瞬ですが、ふっとあの時と同じ心持となりました。50を超えている今の私でも、母の前では娘です。私をちゃん付けで呼ぶのは母だけです。

ママには私の気持ちはわからない!

上の娘にそういわれたことがあります。良かれと思って懸命にやってきたことが、実は彼女を苦しめていたのかと思わされる、ズキッとくる言葉でした。かつて私も子供だったことを忘れて、大人になり、社会人となり、母となり、立場が変わったことで、子供の心を忘れてしまっているいる面もあります。忘れているというよりも、その点を見ようとせず棚に上げて、娘にはこうあってほしいという一方的な親としての欲から接してしまうのでしょうね。押し付けてきたということは毛頭ありませんが、こうあってほしい方向に誘導してきたというか、願いを言葉や態度で多かれ少なかれ表現してきたのでしょう。彼女の成長を純粋に楽しむことが、私にはあっただろうか、いつも期待ばかりして、そのままの彼女を包み込んでいただろうか、いろいろ頭をよぎりもしました。

ママはこんなママでも、誰よりも貴女を愛し、世界を敵に回しても貴女のためなら何でもやれるよ。そうこころで叫びつつ、一方で、あなたにもママの気持ちはわからない、なんて子供じみた思いも否めませんでした。この点は仕方ないなとトホホの境地で行き場のない気持ちでどんよりするしかありませんでした。

かつて私も母にこういう思いをさせたのだろうか、と娘から放たれた言葉に当惑する中、子供だった頃の母への自分を思い出す瞬間も訪れました。親の心子知らずという表現がありますが、子の心親知らずとも言えますかしらね。

親子といえども、人間関係の一つの形です。縁あって親と子として出会えたのですもの、愛おしく絆を培っていきたく思います。

生きる指標 生きる糧

高校生の頃、母を喜ばせたい一心で勉強をしていました。もちろん、自分の将来のことも考えていましたけど、心のどこかに母に喜んでもらいたいという思いがあったのは確かです。自慢の娘でいたいというようなことではなく、単純に母が好きだったのだと思います。大げさかもしれませんが、母に喜んでもらいたいということが生きる指標でした。

娘たちがいたから、私は生きてこれた、私でいられたと感じています。彼女たちがいなかったら、生き抜く力はあったかどうか疑います。女は弱しされど親は強しと聞いたことがありますが、まさにそう。娘を育てるというミッションが与えられたことで、人生に果敢に取り組めた、取り組めていると思うのです。生きる糧であることは間違いありません。

子育てに答えはないと思います。それぞれの形があるでしょう。そもそも答えを求めるものではないでしょう。物理的、身体的、経済的な観点からの子育てはある時点で手を離れることはあるでしょう。しかし、子供のことが心配で気がかりでということ、思いやるということ、これからを案じたり、これからに希望を託したり、いろいろ...子育てには終わりというものがないようにも感じます。親子ですものね。

娘たちが生きているということ、それだけで幸せです。それぞれが守られていますように祈ります。何かあったらいつでも来て。今度あったら何を作ろうかな。何も考えず、心の赴くままでいられるような存在でありたいです。

走ることに疲れたらいつでも戻ってきて、走りたくなったら振り向かずに行きなさい。いつもここにいます。