Candygrace

Life is beautiful whatever comes.

日常は小さな痛みであふれている

一見幸せそうな人の内側

外から見れば何の問題なく、憂いや懸念とも無縁で平和で幸せで溢れている、あるいは成功している人でも、その内側にはそれぞれが抱えている問題があるもの。大なり小なり、多かれ少なかれ。母がそう言っていたのを、私は高校生の時に初めて心に留めました。問題のない人なんていないという趣旨ですが、折に触れて思い出す概念です。

私でさえ、外から見れば”何の問題もない人””に分類されるでしょう。住むところにも、食べるものにも苦はなく暮らせていますから。感謝なことでもあります。それでも、抱えている問題は種々あります。決して平凡ではない人生を送ってきました。外からは見えませんけど。一見平凡に見える人の内側にどんな問題が潜んでいるのか、どんな人生を歩んでいらしたか、外からは見えないものですね。「外からは幸せそうに見えても内側は嵐がふいていることもあるのよ。」と母は表現していました。だから、人を羨ましがって、自分を惨めに落とし込むことはないという励ましだったわけです。

膝小僧のケガ

昨日自転車で転んで、久しぶりに膝小僧にケガをしました。単なる打ち身だと思っていたのですが、着ていたGパンで傷が擦れたらしく、帰宅してGパンを脱いだところ、半径3cmほどの楕円形の真っ赤な擦り傷が拡がっていました。その夜のシャワーではヒリヒリと痛み、歩くのもちょっと抵抗があってトホホ状態でした。数日で治りそうなかすり傷ですが、ヒリヒリの痛さは迫ってきます。大したことないことですけど、不如意を感じます。

ケガの処置をしていて、思いを巡らせました。立ち直れないほどの傷ではないですが、チクッとする傷は日常で出くわします。挨拶をしたのに無視された、来るべき郵便が来なかった、メッセージを送ったのに既読にもならない、といったことから指先の切り傷まで。やろうと思っていることが今日もできなかったという思いもしくしくと痛みに変わることもあります。

思えば、日々遭遇するちょっとした痛み、どれも立ち直れないほどの大きな痛みではないです。自然と乗り越えていきます。忘れていきます。流れて消えていきます。日常の小さな痛み、誰でもが多かれ少なかれ経験しているものでしょう。私だけではないです。自分だけが辛い思いをしているのではないという視点で今の状況を観ます。それから発展して、こんな私でも、これからできることがあるという域にまで盛り上げます。

傷が良くなる数日後にはまた自転車で買い物に行こう、それまでは静かに過ごします。