Candygrace

Life is beautiful whatever comes.

逞しくなってきた娘たち*私を超えて行け!

「ママの娘」と再認識した!

昨夜下の娘からこうLINEメッセージがきました。<??>

 

前々から念願だった4人で食事をしたとのこと。4人というのは上の娘と下の娘とそれぞれのボーイフレンドの4人で、楽しそうに食事をしている写真も数枚送られてきました。元気で人生を謳歌している様子に安心しました。母ですね。幾分バカっぽい写真も数枚あり、笑いを誘われましたが、同時にこの子大丈夫かな…とすこ~し心配にもなりました。心配というほどのものでもありません。私も逢ったことがあるので思いやりのある男子であることは十分わかっていますもの。

 

さて、ママの娘と再認識した!というのはどういう場面、どういう瞬間だったのでしょう。今度聞いてみることにします。ちょっと気になります。

 

二人が幼稚園児だったころ、喧嘩してどーにも収まらない場面で二人ともに双方の気持ちを代弁してどちらの気持ちもわかるー相手の立場に立って観てーという展開があったのを思い出しました。具体的に記述し出すと長くなりますので今回はこうした抽象表現に留めますが。

「ママは どうして 私の気持ちがわかるの・」といったのは確か上の娘だったと思います。悔しくて泣きじゃくっている彼女に「だって、ママのお腹から出てきたのだもの。わかるよ。」と言ったのを思い出しました。 

この人は私をわかってくれているという安心感は何にも替えがたい大きな支えですね。世界を敵に回してもあなたの味方よ、みたいな暖かく力強いメッセージはいつの時代にも母親が子供に対して抱いているものだと思います。

 

「私はママみたいな生き方は絶対しないっ!」

こういわれたこともありましたね。受験期の高校生の時。

「結構よ~~ 私を超えて行くこと!」そういったものの、喧嘩の末に捨て台詞のように投げかけられた娘からの言葉にいささか怒りも入り混じりました。父親不在の環境で家事はまったくのワンオペ状態でお弁当作って仕事行って、帰宅後も翻訳の仕事でPCに向かっていて。。。。誰のためだと思ってるの~という悔しさも正直ありました。彼女たちは十分わかってくれていたはずですが、たまに私も爆発していました。

お互いに甘えがあるのでしょう。この人には何を言っても大丈夫という甘え。

そう、何を言っても許される、何をしても嫌われて切られることはないのですから、相手がどう思おうがお構いなしで好き勝手言えるわけです、親子って。それを受け止められるのも。

遺言の位置づけのブログ

このブログを始めたきっかけは遺言としていつか娘たちに私という人間をもっと知ってほしいという思いもありました。ボーイブレンドがそれぞれいて置かれた状況で懸命に生きている、賢明に課題に取り組んでいる娘たちへ:

長所も短所も全て知ったうえで あなたのことを本気で愛し お互いがお互いを磨き合って前進できるような「その人」を見つけること。

「女性は創造的で 知的で 革新的で 敏感で 才能があり 育てる力があり 機知に富み やりくり上手で 霊的で 有能で 強い忍耐力がある 神様はそれが真実であることを知っている。」

昔のノートから発見したこの言葉、久しぶりに読みましたが、力強いメッセージに今日も生きようと思いました。

娘たちよ、そう、私を超えて行け!