Candygrace

Life is beautiful whatever comes.

逃げ出してもいい!

なんとなく....

なんとなく嫌、なんとなく良くない気がする、といった「なんとなく」を誰もが経験したことがあると思います。”なんとなく苦しい”兆候を無視続けていると体も心もいつかは”なんとなく”から”確実”に”はっきり”苦しくなります。なんだかわからないけどなんとなく変、おかしい兆候は初期段階で治療するべきなのでしょう、体も心も。早期発見で大事に至らなかったことを病気の例で聞くように、心も「なんとなく」の段階で取り組むのが賢明なように思います。些細な嫌なことが積もり、ストレスが蓄積されるといつかは爆発してしまうことになります。我慢して我慢して、とうとう感情が迸る、溢れ出てくることは何度か経験しました。「なんとなく」の時点で心も体も黄色信号を送っているわけです。それを無視続けているとその“なんとなくの兆候”が当たり前というか普通のこととなってきて、鈍感になっていきます。鈍感になったからといって“なんとなく”が無くなったわけではなく、気づこうとしなっくなった、目を向けなくなったというだけで、“なんとなく”は確かに存在しています。黄色信号が赤信号に変わる直前かもしれません。赤信号にかわってもはや“なんとなく”ではなくなった時には体であれば時すでに遅しという事態にもなりかねません。病院に行く、通院となるという厄介な結果になるかもしれません。心の場合はどうでしょうか、修復に時間がかかるというのが一つ考えらるかと思います。

自分と向き合う:自分の気持ちを認める

なんとなくの段階でそのなんとなくの気持ちを自分で捉えること、認めることがまず第一歩のように思います。なんとなく苦しいをほったらかしにしている、そこから逃げていると、なんとなくに気づかなくなり、鈍感になります。また、こんなものでしょうという諦めモードでなんとなくを受け入れて、一見消化したように見えても、解消されていない、払拭されてはいません。蓄積されているにすぎないのです。時に苦しい自分を認めるのが嫌でつらいこともあることもあるでしょう。なんとなくから解放されたいですし、考えたくもないですから、そんなはずじゃないと自分を説き伏せることもあるかもしれませんね。自分の気持ちを否定するよう仕向けていることがあります。自分を励ましていると思い込んでいる状態でもあるかと思います。

本当の自分は心が悲鳴をあげているのに、こんなことで悩んで暗くなっていてもしょうがない、果敢に取り組んで前を向かなきゃ、みたいな状態とでも表現できるでしょうか。今の私が少なからずそうです。なんとなく~から逸れてしまいましたが、「なんとなく苦しい」の段階で自分と向き合って自分の気持ちを認めてあげるところに立ち返ろうと思います。自分で自分の気持ちを否定して、それでも頑張らなきゃ、取り組まなきゃと追いやるのではなく、苦しいと感じているのをなんとなくの段階で十分に意識して認識してみようと思います。なんとなくにすぎなくても、なんとなくではなくなる前に。

自分が一番自分のことをわかっているはず

こんなことにクヨクヨしていてはダメ。きちんと取り組んで解決すべき。逃げ出すことは無責任。そうやって絶えず自分と戦って、自分を励ましている、鼓舞して前を向こうとしているという構図でもあるのですが、辛さが薄れていくことはなく、むしろ、辛いと感じること自体に罪悪感さえ感じてしまいます。逃げ出したくなるのを必死で踏みとどまって、辛くなんてない、辛いなんて思うことそのものが間違いなどと思ってしまうのです。逃げたくなるのは当然なのよと言われた瞬間、物事の見方が変わりました。そう、逃げ出してもいいわけです。

逃げ出してもいいなんて、なんて無責任と思うこともあるでしょう。逃げたくなるのは、自分の感情を大事にしないからと指摘されたときにふと気づかされました。なんとなくの段階から自分の感情に素直に向かい合い、自分と向き合って、ああ今時分はこうしたことで辛いのね、悲しいのね、悔しいのね、いたたまれないのね、という具合に認めてあげるところからスタートです。そんなはずはない、そんなこと思っちゃいけないと無視したり、逆行するように仕向けたり無理することないとわかっただけでも、私の中で少しラクになったというか、そうだよね、やっぱりそうなんだ、それでいいよね、といった方に背負っていたリュックを下したような気持ちにもなりました。

「逃げてはいけない」とひたすら言い聞かせてきたところで、逃げ出したい気持ちは消え失せるどころか益々エスカレートします。逃げてもいいと思うと、自分の今がよりはっきり見えてきて、怖がっている自分、苦しんでいる自分を認めることで、状況がより客観的に見えてくるようになるのを感じました。

逃げ出してもいい!というより達観したとでもいうような、一段高いところから物事と置かれた自分を見ることで、状況への対応策、打開策が閃いて、導かれることがあると信じています。

ということで、今は心苦しいことに直面している私です、自信を失いつつもあります。だから、これ以上自体が深く進攻する前に、今は逃げ出そうと思います。