Candygrace

Life is beautiful whatever comes.

未来を思い描く力*思い描くビジョンで人生の舞台が変わる

過去に縛られず、未来を怖がらす....

時折自分の身に起きたことを振り返ってしまうことがありました。何かの折にふと脳裏に出現したのをきっかけに一連のことを思い出す方向に脳が働き始めます。発せられ辣な言葉やその場の雰囲気やそこにいた人々の表情等、まるで幽体離脱した自分が空中から傍観しているかのように脳裏に映像が映し出さます。そのままこの「思い出す」行為を追求してしまうと、当時の辛かった気持ちまで蘇ってくることもありました。車中で訳もなく涙が止まらなくなるということもあり、こんなことしている自分が愚かに感じられ一層惨めになりました。津波が襲ってくる感覚です。PTSDみたいなものかもしれません。それでも時間が経つにつれてこの津波の頻度は減りました。津波の規模も減少しました。大きな津波に囚われて泣くことはなくなりました。直面している現実に対処しなければならないミッション感に普段は全く思い出す事等はありませんが、帰途の車中で私はこの思い出す津波にふいに襲われることが多々ありました。今は少なくなりましたし、こうした津波が襲ってきても対処する術を少し身に着けたように思います。時間が薬になっているのも大いにあるかと思います。

過去に囚われてしまう、過去の経験からこれからの自分まで信じられなくなるのを否めない感は、正直抜け切れていないところもありますが、決して自分を卑下することなく、乗り越えたと納得する感覚が時間とともに確固たるものとなってきたように感じています。

誰も憎くなく、自己憐憫に落ち込むこともありません。理解されないことも潔く受け入れることが以前よりも容易に感じます。歳ですかね。理解されないことにくじけず、反旗を振り返すこともなく、受け止めて潰されることもなく、ただ流す中、なおも力強く自分であることにブレずに凛と立っていられるよう自分のマインドセットを構築しなきゃと常に思っています。

二人の娘が大学卒業して私の扶養を離れ、社会人としてきちんと税金を払って保険証を取得できるまでは死なない、というミッション感支えられていますけど、この先自分はどう生きるかを新たに問われるフェースにも入ってきているように最近は感じています。外資金融のかつてのお給料よりも数段に少なくなっている今、このままこの仕事で終わりたくないという気持ちも沸々とある中、将来への不安がよぎることもあります。自分が向かいたい方向を問われているように感じます。

過去を憂うのは辞め、未来を怖がることもなく、今を投げ出さず、自分には自分の思いを形にするだけの意力と能力が備わっていると信じて、人々への思いやりと感謝のうちに、自分の直感に従って行動するよう努めたいと思います。そのためには、自分の中にある信念に向かい合う勇気と未来を思い描く力でまずはビジョンを明確にしなきゃです。多くの本にビジョンの明確化の大切さが語られているのを読んできました。確かにです。また、いつでも、今人生を演じている舞台のビジョンは変えられるのだそう。自分が描くビジョンによって達成できるものが決まる!ともありました。力強い言葉です。これこそ、娘たちにシェアしたい価値観です。小さく固まることない、大胆な未来を思い描く力で、ビジョンを成長させることで、素敵な人生が開ける、と彼女たちに言いたいところです。父親不在の環境で育ってきた二人で、私一人では追い付かなかったことも多々あるでしょう。でも、大きく素敵に羽ばたいていってほしい思います。

「想像力はすべての源泉、人生でこれから起こる見どころを予告してくれる」

と言ったのは、アルバート・アインシュタイン。実現するよりずっと前にまだ起きていないことを想像することからはじめるということです。そこで、これからどうありたいかのビジョンを構築してより明確にして、想像するようにしたいと思います。そう思えただけで、力が与えられたように感じます。境界、限界だと思っているものは自分で決めた物にすぎず、結局は自分の小さな狭い世界でうろうろしている思考が自分を窮屈にしているのでしょうね。

このブログを始めたきっかけが、娘たちへの遺言目的でもありましたし、自分がどんな人間だったかを知ってほしいという目的でもありましたが、もう一つ、なりたい自分になるのに遅すぎることはないという思いがありました。そうでした。そう思って前を向くことで、毎日を乗り越えてこれているのも確かです。

要するに、人生まだまだ捨てられない、やり遂げたいことがあるという思いが心底あるのをこれから少しづつ形にしていきたいと思えるようになりました。たおやかに日々を重ねる中で、自分にもまだできることがきっとあるはず。