Candygrace

Life is beautiful whatever comes.

働くためのモチベーションの維持*目指す方向性への長期的目線....

理不尽に耐えるは古い......?

「今の若者は行動の理由や目的を明示しなければ動かない。」と研修コンサルタントのコメントを目にしました。理不尽なことでも、上司あるいは先輩社員の言うことだということで自分の中に彷彿とする疑問や怒りや戸惑いを押しやってひたすら従う、あるいは昇進のために我慢して取り組むといった姿勢が今の潮流ではなくなっているということでしょう。「自分の成長に役立つという納得感」を欲しがるのだそうです。

究極のゴールが明確化されているかどうか

自分がどうなりたいか、キャリア上どう成長して、最終地としてどうありたいかというヴィジョン、要するに夢が明確になっているとそこに向かいたい強い願望と意志が、どんな状況に陥っても支えてくれますし、落ち込んだ時に引き上げてもくれます。やってなれない感でくさった時にも、自分の中の強いヴィジョンが、状況を払拭してくれることがあります。より具体的に言うと「今に見ててよ。絶対XXXXになる!」みたいなマインドセットで立ち上がることができると思うのです。

その真逆に、どうなりたいかが明確になってない、はっきりしていないと、自分を支えるものがないため虚しいだけの作業としかとらえられない事態では、ただただ心が蝕んでいきます。こんなことやって何になるのだろうという負の落とし穴に入っちゃう。要するに、自分の成長に役立つという納得感が伴わないことから単に理不尽だとしか思えず、楽しくない、面白くないというマインドセットに留まってしまうわけです。

今の若者(ン....こういう言い方は好きではないのですけどね、あまり)が自分の成長に役立つという納得感を欲しがり、理不尽なことに昇進との引き換えに我慢してきた年長者者と違うという指摘は良く耳にしますが、今の若者ではなく、当時の若者でもある人々はそうだったのだと思いますし、今の若者でも理不尽と闘って取り組んでいる人もいるはずです。

自分軸

どうありたいか、何を目指すかの自分軸は何度でも書き換えていいもので、開拓して、更新しつつ、書き直しながらいつも自己の中心にもっていたいもの、目指す方向性を長期目線でとらえる視点が「理不尽」と闘う秘訣だとも思います。
こんなことしてて何になるの・・・という虚しさからプッツン来て辞めていくことも、ある意味勇気のいることで、その行動力の源にはもっと自分の成長に繋がることをしたいという強い願望の末の決断であることも多々ありえます。要は自分軸をもっているかどうか、人にどういわれようが揺るがない軸があって、今という短期的なところだけに主眼を置かずに、長期的に構えられるかどうかが秘訣だと感じます。

自分なりの視点を築くことがモチベーション維持の中核だと思います。

"No inspiring - I wanna go home." そう朝からつぶやいて面白くなさそうにしてる同僚がいて、わかる~と思いながら”Me,too...to some extent....But today has just started. Let's get out of that mood. Shall we have a cup of coffee, then?" と返事して、しばし一緒にコーヒー飲んで雑談しつつ、ちょっと愚痴を吐き出しつつ時間を過ごして、お互い置かれている状況で今日を素敵にしようと励まし合いました。

そう、本音で語り合える友がいることも、もう一つモチベーションの維持には欠かせないことでもあると思います。

自分軸と自分なりの視線を見直して、更新の上書き換えようと思っています。

ミシンを使い始めた頃、直線が上手く縫えないでいると、目線を2センチ先に注力して誘導するとキレイズレることがないと家庭科の先生が言ったのをおぼえています。キレイに縫いたい一心で、多少緊張しつつも手元ばかり見ているのでは、ミシンのスピードも恐る恐るでふとしたことでズレることもあったりしますが、確かに少し先に視点をもっていくことで1歩先に向かう事の連続、積み重ねからキレイな直線が縫えます。

これと同じかもしれません。少し先にどうなりたいか、どうありたいかを設定することで今のマインドセットが変わります。

f:id:Candygrace:20190405084344j:plain

今朝のお散歩で、桜の花が花びらではなく、お花単体が上から落ちてくるので、おやっと思ってよくよく見ると、鳥がお花を啄んでいました。しかも4-5羽ほどいたでしょうか、みんなで啄んでいるので、お花そのものが落ちてくる、落ちてくる…暫くその鳥たちを眺めました。楽しそう、でも彼らは生きる為に懸命なのだと思います。

始まったばかりの今日一日が、静かなモチベーションで守られますよう。仕事のモチベーションではなく、自分らしくしていてもいいという安心感で支えられた生きることのモチベーションです。