Candygrace

Life is beautiful whatever comes.

人生にはフルモデルチェンジが何回か必要

視点を変える!

避けて通れない問題にくよくよして押しつぶされるよりも、視点を変えればもっと楽に生きられるようになる。こうした趣旨のことは多くの本でも語られていることで真新しいことでもありません。肝心なのは「どのように視点を変えるか」、あるいは「視点を変えることができるかどうか」そのものでしょう。

ある本に紹介されていたお話

同じ病室に隣通しで二人の患者が入院していたところ、一人は窓際のベッドで外を眺めることができ、一人は窓からの景色を楽しむことはできない環境でした。窓際のベッドにいる人はいつも外の風景、何が見えるかを時に面白く、時に美しい夕日や季節の風物を美しく描写して隣患者に伝えてくれていたそうです。

はじめはそのベッド脇の隣人の親切に感謝して彼の話に耳を傾けていたものの、自分のベッドからはそうした美しい季節の風物、面白い光景を眺めることができないのを妬むようになりました。自分だけこちら側のベッドで不運、いつも外を堪能できる隣人が羨ましくも憎くもなる心持ちとなった彼は、ある夜、咳き込んで苦しそうにしている窓際のベッドにいる患者を目にナースコールを押しませんでした。翌日窓際ベッドの患者は冷たくなり、同ベッドが空きました。

そこで、さっそく、窓際のベッドに移してほしいと頼み、窓の景色が一切見えないベッドから窓際のベッドに移してもらいました。そこでこの患者が発見したのは、窓の外は壁、何の景色も見えないことでした。

初めてこのお話を読んだとき、帰結の展開にハッとさせられたのを覚えています。最初に窓際ベッドにいた患者さんの隣ベッドの患者さんへの思いやりにぐっときます。同時に、外が見えなくて嫉妬に変わっていった患者さんの気持ちを単に心の狭い嫉み屋として片づけることはできませんでした。なぜなら、そこにわずかでも自分を投影したからです。

自分にないものを持っている人を羨ましく思う、自分だけが辛い経験をしていると我が身の不運を嘆く自分 - それはまさしくこの外の見えないベッドに居た患者の姿勢です。

経験はアセット

今の私はこれまでに起きた悲しい出来事で形作られています。人生をよりよく生きるという考え方からは無駄な経験はないと信じています。渦中にあっては苦悩の日々で、どうしよう、どうなるんだろう、、、とブレブレでしたし、あらゆる方面で八方ふさがりという気持ちでした。経済面、精神面、健康面、どれも明るい見通しがなく、人魚姫のように泡になって消えたいと思うばかりでした。厄介な影響に関係なく自分自身で自分の心をなんとかできるメンタルの強さを身に着けたいと思っていました。

 

経験しないとわからないこと。行動しないと見えてこないこと。この歳になってようやくわかってきたことがあり、遅い私の人生のフルモデルチェンジのタイミングなのかもしれないと感じています。

視点を変えること、より大局的なところから今の自分を観るように努めています。

自分であることが敗北であるような人生ではなく、自分であることが最も喜びであるような人生でありたいと思います。

昔のノートから;

自分を否定することなく肯定すること。

展望を持って生きる、展望が見つかったら 直ちに行動すること。

自分がいつも望んでいたことを何度も発見したなおすということ。

心の中に自分のゴールをしっかり描き、それを見据えて目をそらさないこと。

自分が何を望んでいるかをはっきり自覚するということ。

そして、自分には力が備わっていることを信じるということ。

 

次なる人生のフルモデルチェンジの設計図をしっかり描いて目をそらさないで生きるために、まずは自分にはその力があるというマインドセットになるよう、視点を変えて今自分が置かれている環境を見つめなおすことから。