Candygrace

Life is beautiful whatever comes.

即断即決する?じっくり考察して決断まで時間をかける?

答えは自分の中にある、既に。

選択に迷った時、自分のフィーリングに素直に従う場合と自分の持っている情報、知識、これまでの経験といったフィルターを通して選択する場合があると思います。

昨日久しぶりに娘二人と同時に逢い、三人でお茶することができました。本当に久しぶり。それぞれとは逢うことがあっても三人が揃ったのは半年以上ぶりでしょうか。逢うといっても、ここに荷物を取りに来る、荷物を預けに来るといった”用事”がある時、あるいは、ボーイフレンドと喧嘩した時・行き詰った時という具合です。それでも一時帰宅で元気にリフレッシュしてくれればいいです。私も元気をもらいますもの。ただ~洗面所に髪の毛が散在、いろんなものが出しっぱなし(爪切りや耳かき等も...)、遅くまで(本当に遅くまで!朝方までもよくある)PCや携帯を扱っているなどなど、おやおや...と思うことがあって、うゥとくることもあります。話がそれました....

さて、遅い朝食を取った後、二人それぞれが午後用事があって出かけるということでしたので、駅までの道すがら愛犬も一緒に散歩しつつワンコOKのレストランのテラス席でお茶しました。メニューを選ぶ際、比較的に即断即決するのはいつも上の娘です。「私、チーズケーキ。」メニュー閲覧後3秒ほどだったと思います。一方、下の娘は「ママは?」「ティラミス、美味しいかな...」決めるのにしばしかかりました。結果、ガトーショコラを選びました。

何を食べたいか、本当は既に自分の中に答えはあるのだと思います、きっと。そのフィーリングとしてある答えを瞬時に捉えられるかどうか、それを掴んだところで、それに素直に従うか、条件を揚げて比較して考察するかどうかだと思うのです。

具体的に言うと、選ばなかった選択肢のほうがよかったらどうしよう、という気持ちがどれだけ強く働くかということ。つまり、シフォンケーキ美味しそうだけど、ティラミスのほうが更に美味しいかもしれない、本当はガトーショコラが食べたいけれどカロリー高いから辞めとく、フルーツタルトにする、ショートケーキ美味しそうだけど前に生クリームで気持ち悪くなったことがあるから....といった具合です。

下の娘が「ママは?」と聞いてきたのは、第三者的意見を参考にしたいということでしょう。他の人はどう考えているのかを自分の決断の参考にする姿勢ですね。これは多くの場合、多くの人が取っている姿勢でもあるでしょう。より良い選択をするために、自分の中の答えをより確実なものにするためです。そう、この場合でも既に答えは自分の中にあって、それをより確固たるものにしたいがために、第三者意見を聞きたいわけです。

即断即決がいい、じっくり考慮する方がいいと結論づけるのが今回のテーマの帰結ではありません、念のため。どちらも大切な姿勢だと思います。肝心なのはi)後悔しないこととii)自分の選択に責任を持つことだと思います。

チーズケーキ思ってたのと違うけど、今度来た時にはティラミス食べよう、という感じでチーズケーキを完食して、楽しいお茶の時間を過ごせれば最高。

実際は、チーズケーキもガトーショコラもとても美味しかったです。ちなみに私はアフォガードを注文しました。しばしガールズトークして、笑って、写真撮って、久しぶりの三人と一匹揃っての時間をたおやかに過ごしました。

そう、答えは自分の中にある。早くても遅くてもいいから それを発見できますように。