Candygrace

Life is beautiful whatever comes.

なくてもいいもの:必要ないものを決める取捨選択の意思と捨てる勇気から生まれるエレガンス

2年着なかった洋服

昨今はファストファッションでトレンディーな洋服が格安で入手できます。かわいい、あ、やす~い、買っちゃう!という安易な流れで購入できます。そうやって買ったものはワンシーズンで終わったりもして、洋服ダンスに終われたが最後、二度と袖を通す機会が与えられないものもあるようです。大量生産、大量消費のファストファッションの弊害は本当に無残なもの、これについては別の機会に触れることにします。今回は、ワンシーズンで終わると思われるものは買わないという姿勢、もので溢れる生活からの離脱について考えたいと思います。

 

そこで、過去2年間着なかった洋服ってこの先着ることがあるかしら…という視点から、処分しようと思い立ちました。冠婚葬祭のための洋服は別として、過去2年間一度も着なかった洋服を手に取って、ときめくかどうか自分に問います。ときめかない場合、処分の対象とし、誰かに譲れるものかどうか考えてから、譲れる場合は誰に? 譲れない場合は古着回収サービス(例えばH&M等が実施している)に持ち込みます。

 

多くを所有することで選択肢は広がりますが、選択肢があるということは迷いが生じることの起因にもなります。「選択肢が多いほど幸福度は下がる」と言っているのはドミニック・ローホー氏。シンプルな生き方を提唱する私が大好きな著述家です。

 

取捨選択をして「本当に自分の魂を養ってくれるものだけ」をとっておき、「自分のエネルギーを消耗されるものを手放す」ことで生活をシンプルにすることで自分のスタイルを持って「贅沢」を味わいたいと思います。ここでいう贅沢はブランドを身に着けて、セレブのようなおしゃれでラグジャリーな暮らしを意味するのではなく、自分のスタイルに自信を持って暮らしつつ、相手を楽しませ、自分も心地よくいられるエレガンスさという贅沢で自分に対していいイメージを持つことができる贅沢です。人に何と言われようとも。

本当の贅沢

お金は多く持っていないけれど、贅沢に暮らすことは出来ます。「贅沢」の定義によるかと思います。洗練された生活というのが私の贅沢の基本かな。 

ものに振り回されない、そして、人にも振り回されない自由、自分らしくいても安心していられる環境、わたしにとっての贅沢はこの3要素が満たされていることです。

そのためには振り回されるものを持たない、必要以上のつながりをもたない主義です。必要だと思わないところでつながりを求めないの意で、閉鎖的であることでは決してなく、協調性がないのでもありません。

必要ないものを決める取捨選択を意志の力で行って、潔く捨てる、削ぎ落す作業からより自分らしくいられる贅沢を堪能できるよう目指します。そこから、自然とにじみ出るエレガンスみたいなもの、自然なものごしのなかに上品で温かい雰囲気を持っている人でありたいと思います。

Life shall be beautifull whatever comes in any given time of life.

まずは、今日できることを先延ばしにしないで、でも、自分を急かすこともなく、取り組もうかな。