一緒にいて居心地の良い人
心置きなく一緒に過ごせ...ない人って?
一緒に居て気を遣わなくてもよく、ありのままの自分でいることが居心地よく感じる人ってどう人でしょうか。もちろん、家族でしたらそうですよね。臆することなく安心して自分に戻れる場所が家庭であって、家族の前では違う自分を演じる必要はないというのが本来の姿です。そうではない環境、状況の人々居るようですが。
お友達や同僚でも一緒に居て気遣いなく素直になれる人と気を遣う、遠慮する、本当の自分を出せない人がいます。この違いって何でしょう。立場が違う(上司と部下だったり先生と生徒だった先輩と後輩だったり様々)ことを加味すると一概には言えませんが、本当の自分をさらけ出しても相手が自分を拒否しない、嫌いになって去っていくようなことはない、という安心感があるかどうかというのが一つのベンチマークだと思います。
- こんなこと言ったらドン引きされるよね、辞めておこう。
- 本当の思いを言葉にしたら嫌な奴だと思われるかもしれないから辞めよう。
- 嫌われたらいやだから本当のことは言えない、不安だもの。
- 本音言ったら相手が怒るだろうし不快な思いをするだろうから嘘でごまかそう。
- 面倒くさいことになるからスルーして無視。
いろいろあると思うのですけど、相手への気遣いがある場合も含めて自分の本当の気持ち、感じたこと、思うことを出さない・出せない・隠す・演技する・嘘や真逆のことを言ってその場を繕う・単純に無視・・・・どれも自分らしくできないということに尽きると思います。
心置きなく一緒に過ごせる人
そう、心置きなく一緒に過ごせる人というのは、本当のありのままの自分を出しても相手が自分を嫌いになんてならない、去っていかないという確固たる自信、信頼のある人です。何を言っても受けいてれくれるという安心感があるひとです。
誰しも、本当の自分に手放しで戻っても大丈夫な人、ダメダメな自分も傷ついている惨めな自分も壊れそうであるいは壊れてしまった醜い自分もそのままで受け入れてくれる人が必要なものだと思います。もちろん、おひとり様で孤高に崇高に生きている方々もいます。そういう人はきっともう一人の自分、ハイヤーセルフを身近に感じれる人なのではないかと思うのです。そう、もう一人の自分がきちんと自分を受け止めているのだと思います。
私も今一人ですが(おっと、愛犬がいますから全く一人でもないと言えます)、自分との対話が上手くなってきたようにも感じています。今時分がどう感じているかを見極めることが少しづつ上手くなってきたように感じているところです。
というところで>>>
一緒いて心地よく過ごせる人でいたいです、せめて娘たちには*
何年もそこにいる木が わたしはここにいるよ というように
娘たちにとっての木でありたい。