Candygrace

Life is beautiful whatever comes.

劣等感と先行き不透明感との付き合い方

心地よく居ることの定義

自分の不甲斐なさをとことん感じて情けなくなることがあります。自分でいることが心地よくない、情けない、恥ずかしいという感覚に潰されて動けなくなります。私の場合、人と比べて無駄に落ち込むこともあって、そんなこと必要ないのはわかっているのに無意識に比べてしまいます。能力のなさ、お金のなさ、美貌のなさ、人間の小ささ、配慮のなさ他いろいろ、落ち込む題材多種多様。マイナスのエネルギーで覆われて心が塞ぎます。それでも、全てのやる気を失っていく中で、このままではいけないと妙に焦りだしたりして、このドツボの状態から抜け出さなきゃという気持ちも働いていて、こんなことで潰されてる場合じゃない、立ち上がろうとも心奥で思ってたりもして...。自己肯定感関連の本を数冊読みましたけど、自分が自分で居て心地いいと思える状態で居続けることが難しいという思いに支配されると、そうした書籍からの知識や情報も直ぐに活かせないことも多々です。わかってるんだけど難しいというところでしょうか。

自分で居て心地いいと思えることって、「これが私」と受け入れることが出発点だと感じます。自分を愛すること等よく言われますけど、好きでも嫌いでも、自分を認める勇気かなと、今は感じています。はい、できないのね、おお、薄情ね、あらら、人間ちいさ~と単純に客観的に。こんな人でいたくない、もっと能力があって、崇高で、美しくて、お金にも困ってなくてって上を見すぎて、現状がみじめで落ち込むのを辞めたいと思います。

これから先私の人生どうなるの?

いろんなシナリオを考えて先行き不透明感に晴れない気持ちで今を過ごすことほど”もったいない”ことはないでしょう。それでも暗くなってしまうのを止められなかったりします。どうにかなる(どうにかする!)の楽観的な心持になるのにも、まずはこれが私の今の状態と受け止めるところからでしょうか。良くも悪くも、自分の状態を真っ向から受け止めるところから。

心配性な私、幾分自分に厳しいのかもしれない私です。今年はThis is meのスピリットで、のほほんといられるようになりたいです。

ママ、振られちゃったよ.... 時間が癒してくれる、これが一番>

置手紙でいなくなったボーイフレンド

ママ、振られちゃったよ...置手紙があって「今までありがとう。」って。そうラインのメッセージが先週日曜夕刻に上娘から入ってきました。このままお付き合いするかどうか迷うと聞いていた経緯を知っていましたので、決着を見たという観点からはよかったのではと思いました。下娘から価値観が違いすぎ、合わないと思うと聞いていたので、私としては、苦しんで悩んでお付き合いを続けていくよりも生産的だと思ったのですが....。メンタル大丈夫か、すぐさま心配になりました。案の定、下娘から泣いてると情報が入りました。振られた経験が初めてということと、全くの予想外ということではないけれども、このタイミングというのが突然だったこと等諸々、心が痛むのも十分わかります。好きという気持ちも残っているのでしょう。午後のヨガクラスから戻ってきて、夕刻、彼女の従事しているイベントに差し入れに行こうかと考えていた矢先でした。イベント最終日で片付けが夜遅くまであると聞いていたのでね。前日の土曜日に久しぶりに下娘と三人でランチしたところでしたが、それぞれが置かれた立場で賢明に取り組んでいる現状をシェアして、二人を逞しくまぶしく感じて、励まされた翌日の出来事でした。

イベント準備の多忙な日々にすれ違いが加速した結果、彼の方から答えを出して行動をとったようです。直後は受け止めるのが苦しいでしょうね。でも、月並みですが、振られた経験をするのもこれから糧になると思います。痛みを知ったことで深まることもあります。

時間しかないです。時が癒してくれます。時しかないかもです。時が癒してくれるが一番自然です。

わかったから、ちょっとほっといて

心配で心配で心配で、あれかれメッセージを送ってしまいました。過干渉になるつもりは全くなかったのですけどね、多少おバカでした。ほっといてというメッセージがはいってきて、ダイアナ妃の最後の言葉が "Leave me alone."だったのを思い出しました、なぜか。この状況とは全く関係ないですけど、双方一人にしてほしい、干渉しないでという心の叫びです。

一週間後、上娘が一緒に美容院に行こうと予約を取ってくれました。実は、過去7年強、自分で切って、たまに市販の白髪染めを使っていました。ここ一か月ほど白髪染めシャンプーを使ってみたところ、白髪は目立たなくなりましたが、全体に黒くなりました。もともと茶系の地毛だったので先週久しぶりに三人で集まった際に、ママの髪黒すぎ、そろそろ美容院に行ってきれいにしてもらったらと言われたところでした。7年ぶりの美容室。

上娘の行きつけの美容室で、きれいにしてもらって大感激。そのあとゆっくりランチ、お茶しながら上娘とまったりする時間が与えられたことが、私はとても嬉しくて嬉しくて、彼氏と別れてDay5、まだ写真は消せずにいるとのこと。新しいプロジェクト他で多少また忙しくなってきている様子、家には帰宅して寝るだけ出し、あまり一人でいることはしないようにしていること等、彼女がぽつりぽつり話してくれることをただ聞いていました。

時間が癒してくれるよ

彼女が振られたことで、私は7年ぶりに美容院に行く機会を得ました。多少哲学的(と娘は言っていましたね)なメッセージを送ったりもしましたけど、ただただ一緒に過ごすこと、遊ぶこと、食べることが数段いいです。それから、時間。一番の薬は時間、これしかないです。その癒してくれる時間の中で、また一緒に過ごせるひと時が整えられますようにとひそかに祈りました。私にとっての貴重ないとおしい時間です。

自分史上最高の自分になる - 詰んだ状況からのリセット

落ち込む。。。”詰んだ...."

自分のパフォーマンスの稚拙さに落ち込みました。最近は3か月限定で通っているヨガの夜一番遅い時間のクラスに行くのがほぼ楽しみな日課となっていましたが、この日は、落ち込んだあまり、キャンセルしました。リセットするのは逆にいい機会なのに、こころが折れてしまいました。落ち込み度合いがここまでくると、運動(ヨガ)して気分転換して明日に備えようという発想にまで自分を持っていくことができませんでした。2時間のクライアントとのセッションが午後二つ、一時間のブレークを挟み続きました。2つのアプリを使いつつ日本語で行われるミーティングをインターナショナル・チームに通訳していますが、2つ目のセッションのパフォーマンスはまったくお粗末でした。会議の方向が想定外の方向に行っても(社内討論が始まったり、拮抗したり等)臨機応変に対応する力が求められる仕事であり、そうしたこともいくらが経験してきてなんとか乗り越えてきましたが、この日は、知識・知見のないことがいきなり出てきたのに加え、それに関してクライアントが話している日本語の意味がわからない、内容が理解できない、ついていけない状況になりました。普段PCを2台使つつ、わからないことを会議アプリを使っていない方のPCでササっとグーぐって何とか乗り越えることもあります。ところが、この日は会議のスピードと話の展開についていけなくなって、え?わからない...というちょっとワナワナするくらいの気持ちから始まり、会議が進行するにつれ、ワナワナ感が加速していまいました。最悪です。今風の若者言葉で表現すると「詰んだわ...」。

どうせ自分はこんなん.....これ以上どうやって成長していけるのか...私には無理.... 情けない。

リセットボタンの見つけ方

ふて寝しました。こうした気持ちから解放されたくて。ソファーにゴロンとして落ち込んだ気持ちをグタグタ持て余していたら、いつの間にか寝ていました。寝れるほどなまだ深刻な状況じゃないんじゃない、本当に病んだら寝ることもできなくなるという見方もあるかもしれません。確かに。そういう経験もありますので、それほど深刻に落ち込んだわけでなかったとも言えるでしょう。ただただ情けなくて、今後どうやっていけばいいのかも含めて取り組み意欲が萎えてしまったのと、できる人と比べていじけたのと、このパフォーマンスの悪さを理由に時期契約をうち切られる可能性への不安も混じっていました。

目が覚めたのは夜中の3時近く。やってしまったと思いつつとりあえず顔を洗って歯磨きして本格的に寝る体制を整えてベットに移ったところで、ベッド横に置いている数冊の本に目が留まり、その中のある一冊の本のフレーズを思い出しました。必要だから与えられる経験であり、経験そのものにはいいも悪いもない。それをどう使うか、どうトリガーにして自分の糧にしていくかという内容のメッセージ。真新しくも何ともないメッセージですが、そうだよな~とほんの少しだけ心が軽くなりました。ここがリセット時か...心底にはまだウダウダ自己失望感がよどんでいましたが、ここで自分をこの方向にもっていくのが賢明だと葛藤しました。決して無理はしたくないですけど。

自分史上最高の自分になる、死ぬこと以外かすり傷

こう言い聞かせつつ前を向くようにしています。単純で愚直ですが、落ち込んでいる場合じゃないというスピリットを奮い立たせるスレーズです。
リセットボタンを押すかどうかは自分次第です。えいっと奮い立たせることも時には必要なのかもしれませんが、自然と無理なく、強がりせずリセットの流れに乗っていけるといいです。このままでは嫌!という気持ちが沸々とする中、どうにかしようと焦ることなく、立ち上がれますように。

今週末には久しぶりに娘たちと会う約束もあり、それも思い出されて、このままの状態でいたくないというのもリセットを下支えてくれています。娘たちに会う時にはいい状態の自分で、つかの間の三人集合の時間をたおやかに過ごしたいと思うことで詰んだ状態から幾分解放されていくのを感じました。

焦らない、腐らない、諦めない。
今日は昨日より良くなる、良くするという気持ちが自然と湧いてきますように。

The world is your oyster. 〜なりたい自分になる!あなたの可能性は無限大〜

イメージ通りの人間になる。

「あなたはあなたのイメージ通りの人間になる。」の意の言葉は何かしら聞いたことがあると思います。ジェームス・アレンの不朽の名著”As a Man Thinketh"は余りにも有名。思い通りの人間になるという力強いメッセージ。ところが、私に取っては、辛いことに直面している最中にあっては、薄っぺらくも思えたメッセージでした。眼前にある問題に潰されそうになり、先行きの不安に呆然となる中で、思っただけで、心に思い浮かべることでその通りになんてなり得ない、そんな安易に行くわけない、といじけて、腐っていたと同時に、そもそもどうありたいかというイメージすら浮かばない、浮かべられない、ヴィジョンを温める余裕がないというどん底でした。暗闇を這っているような感覚です。出口がない絶望感とそこからくる焦燥感とに潰されないように自分を律しているのが精一杯でしたが、唯一私を根強く支えていたのは、二人の娘を育てるというミッション感でした。「今日も一日なんとか乗り越えた」の日々の連続。それでも、少しづつこうありたいという思いが芽生えて来たところから、それを育みつつ、今のままではダメ、ここから脱脚しなければという思いに押されて、どう在りたいか、人生をどう生きていきたいか思いを巡らせるようになりました。不思議なことに、辛い中にあってもその思いに自分を預けて想像の世界に浸る時間、ビジョンを構築している束の間、心軽く楽しく、厳しい現実から解放される思いでした。

イメージ通りの人間になるのであれば、素敵な自分を精一杯イメージしよう。

こうありたいという強い思いに導かれて来たことは確かです。今振り返って言えること、自ら経験して納得のいくことだと言えます。娘たちはそれぞれ自己実現に向けて、人生に果敢に取り組んでいるというところで、私も含めそれぞれ諸々の大小各種の問題・課題がありますが、いつかこうなtりたいという自分像を持つことが原動力となっています。
先日上の娘と話していて、彼女がこれから追求していきたい分野、勉強したい領域をシェアしてくれました。一年前には鬱でクリニックに通い薬を飲んでいた彼女でしたが、今はしっかり自分の方向性を掴んで模索しつつも実直に取り組んでいる様子がとても眩しく、1人の女性として尊敬の念をいだきました。新しい分野の通訳の仕事に、自分でこなせていけるか自信がない状態だった弱気な私を励ましてくれたのは、こうありたいというビジョンをしっかり掲げ、より具体的なイメージを持っている彼女の姿勢でした。<As a Man Thinketh>
イメージ通りの人間になるのであれば、ステキな自分をイメージしよう。こうありたい自分像をしっかり温めよう、そう改めて思わされました。自分にはできないかもしれないと萎縮するのではなく、勉強しつつ挑戦しつつ、もっと高みを目指そう、そう自然と決して力むことなく思えたのは娘のおかげです。それから、これからどうありたいかにもさらに思いを巡らせているところです。

自分史上最高の自分になる

どうせ私は....の負のスパイラルに落ち込むこともあり、投げやり諦めモードになることもあります。でもやっぱり今の自分が嫌で、このままでいいわけないという思いが勝ってくれます。これは、こうありたい!自分像を育むいいチャンスであり、厳しい現実の中にあっても突破口となる糸口でもあります。自分史上最高の自分になるという漠然とした、でも、向かうと方向性だけははっきりした思いを大前提として、生活の各分野に落とし込むようにしています。仕事では翻訳の案件をもっと積極的に取っていく、今の通訳のパフォーマンスを上げる。筋トレでは決めたメニューをキチンと実行する(大した筋トレではないのですけどね、毎日継続するの意)。食生活ではプラントベースのメニューをもっと充実させたい。もっと大胆に寄附ができるようになる。などなど細かいところまで色々落とし込めるのは、この大前提があって、なりたい自分のイメージが先導してくれるからです。

The world is your oyster.

下の娘が一年の休学を経て大学に復学しました。インターンの仕事をしつつ、オンラインの授業にも出ているようですが、本業は大学ですからね、卒業してねという親としての思いが先行してしまい、ダイレクトにその思いを伝えたこともあります。それでもこれじゃあんまりかなと思い、ふと思い出したこの言葉を送りました。シェークスピアの『ウィンザーの陽気な女房たち』に出てくる Pistol という登場人物の台詞です。世界を牡蠣に見立てているが故に直訳でいう「世界はあなたの牡蠣」となっていますが、そこから、世界はあなたの思いのまま、あなたの可能性は無限大という意味です。

多くのポテンシャルがある娘たちのためにも、素敵な自分でいたいと思います。こうありたい自分像、ビジョンを愚直にでも大いに貪欲に凝り固まることなく描くことでこれからの原動力にして生きたいと静かに思っているところです。                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                      

立ち上がれない時は気分転換

物事を真剣に受け止めすぎない

ここのところ自己肯定感がかなり下降して、自分を心地よいと思えない日々が続いています。こうありたい状況から今の自分がかなり隔たっている、現状起きていることが全く予想していなかった方向に進んでいることから来ているのはわかっています。どうにか受け止めていますが、消化しきれていない感じです。

今朝、過去のノートに「物事を真剣に受け止めすぎない鈍感さも時には必要」と書いてあるのを見つけました。何かの本からの抜粋で書き留めたのだと思います。さてどの本だったかしら。「自然に抗うことなくすべてを委ねる」「立ち直れない時は少しの気分転換を」と続いていました。

真剣に考えこんで、突き詰めて掘り下げていくと一層落ち込みそうで怖いです。そもそもそうしたエネルギーも今はありませんけど。この一言に幾分心が軽くなりました。

鬱と未読メッセージ

上の娘が鬱で薬を服用しています。副作用で疲労感やめまいに悩まされているようです。本当は飛んで行ってあれこれ世話したいのですけどね、いろいろあってLINEのメッセージも未読のままです。助けが必要な時にはいつでも出動できると伝わってると願いつつ、ママ!と連絡をくれるのを今は静かに待ちます。

立ち上がれない時は少しの気分転換を….

娘が住んでいる比較的近くにおいしいベーグル屋さんがあって、ベーグルを買いに行ったよ、美味しかったから試してみてねとメッセージを送ってみました。既読になることはなくてもいいや。

彼女も今苦しいのでしょう、私以上に、闇に居座っているような状態なのかしら…

NYスタイルのプンパニッケルのベーグルをこんがりトーストしてたっぷりのバターで、いつか娘と一緒に食べたいと思いました。

苦しみは必ず終わると信じて、心が晴れるのを待ちます。

劣等感との共存:闘うからもっと落ち込むのかも....

どうしようもない、行き場のない気持ち

子育てのためにきっぱりキャリアを諦めて、しっかり子育てに専念され、娘さんはハーバード大学をへてNYCの著名な法律事務所で弁護士に。お母さまご自身はというと、離婚されたもののご自身の努力で外資系企業のエグゼクティブにまで昇進。能力や裁量もさることながら、ご自身の努力の賜物でここまで来られたのでしょうね。すごい!薄井シンシアさんの記事を読んで微妙な気持ちになりました。「幾つになっても自分を成長させることで人生の花が咲く」という主張には心から同意します。幾つになっても人は変えられると私も信じています。でも、なぜ微妙な気持ちになったかというと、単なる妬み。わ、醜い。一番嫌いな感情です。そう、羨ましくて妬ましく思えるのを否めなくて、ここでまた自己嫌悪が加速、なおさら落ち込む。なんて醜い私。

離婚して働かざる得ない状況になって、シッターさんにお金を払いつつ、もう少ししたらシッター代もいらなくなるし、今だけの辛抱と言い聞かせ、派遣からはじめて、子供の熱でも置いて出勤したり、自身の熱は化粧で隠して、とにかく稼がないと!という切羽詰まった状況…どうにか懸命に仕事してきましたけど、正社員になった会社を2008年の金融危機余波で解雇、現在職に就いていますが....私には向いているとは思えない感が心底にさまよっていて不完全燃焼感。娘たちはそれでもすくすく育ってくれたのですけど、上の娘は大学を中退。母親として負担をかけてきた結果なのかと自責の念に襲われることもあります。下の娘は来春大学を卒業予定ですが、バイトを2つ掛け持ちながらよくやってくれています。仕送りが十分できないでごめんね。

というところで、子育て中はしっかり傍にいて専念でき、離婚しても確固たるキャリアを築いているのが眩しい。

わたしはこんなんで...なんなんだろう。

意味なく、じんわりと、でも確実に心が塞ぎました。行き場のないこの気持ちをどうすればいいか、心が侵食されていくのをぼっとして静かにしているしかなく、おかしいかも、私。無駄な涙が流れてきて、この感情にのまれる、潰されるのが嫌で、とりあえず外に出て歩きました。

今帰ってきてこれを書いています。

劣等感

人と比べるから劣等感が増幅しますね。自分を心地よく思えないというのが劣等感のコアにあると思います。潰されないでいるにはどうしたらいいか。自分を情けなく思うのを、人と比べて劣っている感から抜け出すにはどうしたらいいか。

娘たちが元気で生きていることそのものが素晴らしいと思える境地に立ち戻ろうと思いものの、この劣等感が押し寄せてきます。

闘うから余計落ち込むのかもしれません。ここで潰されている場合じゃない、やることはまだいっぱいあるという意地は残っていますけど。劣等感と闘うのではなく、うまく手名付けるこころの処理の仕方を考えます。

日常は小さな痛みであふれている

一見幸せそうな人の内側

外から見れば何の問題なく、憂いや懸念とも無縁で平和で幸せで溢れている、あるいは成功している人でも、その内側にはそれぞれが抱えている問題があるもの。大なり小なり、多かれ少なかれ。母がそう言っていたのを、私は高校生の時に初めて心に留めました。問題のない人なんていないという趣旨ですが、折に触れて思い出す概念です。

私でさえ、外から見れば”何の問題もない人””に分類されるでしょう。住むところにも、食べるものにも苦はなく暮らせていますから。感謝なことでもあります。それでも、抱えている問題は種々あります。決して平凡ではない人生を送ってきました。外からは見えませんけど。一見平凡に見える人の内側にどんな問題が潜んでいるのか、どんな人生を歩んでいらしたか、外からは見えないものですね。「外からは幸せそうに見えても内側は嵐がふいていることもあるのよ。」と母は表現していました。だから、人を羨ましがって、自分を惨めに落とし込むことはないという励ましだったわけです。

膝小僧のケガ

昨日自転車で転んで、久しぶりに膝小僧にケガをしました。単なる打ち身だと思っていたのですが、着ていたGパンで傷が擦れたらしく、帰宅してGパンを脱いだところ、半径3cmほどの楕円形の真っ赤な擦り傷が拡がっていました。その夜のシャワーではヒリヒリと痛み、歩くのもちょっと抵抗があってトホホ状態でした。数日で治りそうなかすり傷ですが、ヒリヒリの痛さは迫ってきます。大したことないことですけど、不如意を感じます。

ケガの処置をしていて、思いを巡らせました。立ち直れないほどの傷ではないですが、チクッとする傷は日常で出くわします。挨拶をしたのに無視された、来るべき郵便が来なかった、メッセージを送ったのに既読にもならない、といったことから指先の切り傷まで。やろうと思っていることが今日もできなかったという思いもしくしくと痛みに変わることもあります。

思えば、日々遭遇するちょっとした痛み、どれも立ち直れないほどの大きな痛みではないです。自然と乗り越えていきます。忘れていきます。流れて消えていきます。日常の小さな痛み、誰でもが多かれ少なかれ経験しているものでしょう。私だけではないです。自分だけが辛い思いをしているのではないという視点で今の状況を観ます。それから発展して、こんな私でも、これからできることがあるという域にまで盛り上げます。

傷が良くなる数日後にはまた自転車で買い物に行こう、それまでは静かに過ごします。