Candygrace

Life is beautiful whatever comes.

動物を食べるのが嫌になった!

プラントべースの食事で十分

厳格なベジタリアンである菜食主義のヴィーガンであることを宣言しているセレブもいますし、ヴィーガンという言葉そのものも、昨今広く知れ渡ってきました。卵もはちみつもNGとするヴィーガンのスタイルに当初はあまり興味はありませんでした。ベジタリアンスピリットで、時々お魚、お肉、チーズ、卵をいただく、はちみつは大好きといった姿勢で超ゆる~いベジタリアン(う、ベジタリアンとはいえないか、きっと)でいましたが、ここ
2年程の間にいくつかのドキュメンタリー映画を見て、ますますプラントベースの食事への意識を高くしました。健康上の理由のほかに、環境と動物愛護と社会面と様々な角度から、プラントベースの食事で今後は生きていこうと今思っています。

なるほど、そうだったのか!という社会構造、政治的な影響とお金の絡む皮肉な構造を最初に知ったのはForks Over KnivesやFood, Inc.からでした。それからNetflix でCowspiracy, What the health, Take you pill ほかドキュメンタリーを見て沸々と確実にこの決意を固めているところです。

Food Revolution と Speciesism

31アイスクリーム、即ち、バスキン・ロビンス、世界最大級のアイスクリーム・パーラーチェーンのご子息であるジョン・ロビンス氏のインタビューを観て、彼の本Food Revolutionを読んでいるところです。もともと牛乳やミルキーなものはどちらかというと苦手でしたが、アイスクリームは好き。矛盾していますけど、ホントなんです、何故か。トマトは好きではないけど、ケチャップは好きという友人も高校の時にいましたね。話がそれました…

牛乳は牛の子供のためであって人間向きではないというそもそも構造と、健康面へのマイナス面と牛乳からつながる家畜産業のことと、これから体系的に彼の書籍を読んでいきたいと思います。

それから、一番Speciesism というMark Devries監督の映画を観たいと思っています。
speciesismthemovie.com

動物を殺して食べている私たち

動物、農場にいる動物たちも含め、彼らはみな私たちと同じように、嬉しいさも悲しさも怒りも感じる、感情のある動物たち。落ち込みもするし、怖い思いも、もちろん痛みもわかる生き物であること、私たちが感じるように彼らも感じていることに心を留めるようになりました。

Of course, other animals possess the same five physiological senses that we do, as well as the capacity for a wide range of emotions. In her introduction to The Inner World of Farm Animals, Dr. Jane Goodall writes that “farm animals feel pleasure and sadness, excitement and resentment, depression, fear, and pain. They are far more aware and intelligent than we ever imagined . . . they are individuals in their own right.” And Dr. Temple Grandin, in Animals in Translation, writes that “When it comes to the basics of life . . . [other] animals feel the same way we do.”

あなた一人が動物食べなくったって世界は何も変わらんよ、と言われればごもっともすぎて、それまでです。でもペットショップに足を運ばない(せめて)というのとおなじ姿勢でまずは一人行動します。

既存の知識(知識だと思っていた)や思い込みで、あるいは諦め境地で妥協するのをやめようとしている私のささやかな取り組みの一部です。意識がキチンとする、ビジョンが明確になると行動が必然となる、楽にできるというのを痛感しています。

年を取ることが怖くなくなる時

悠々自適なおばさま

かつて娘たちがまだ中学生と高校生で、部活着(新体操部とダンス部)の選択に毎日追われ、お弁当も時に二食二人分だったりして朝から猛烈にフル活動の子育て真っただ中だった頃、隣に住んでいるおば様の域に達してはやく楽になりたいと漠然と思っていたことがあります。というのも、その未亡人のおば様は、コーラスや俳句といった趣味を堪能しつつお友達との時間を大事にして、毎日朗らかに暮らしていらしたからです。子供はいらっしゃらなかったものの姪御さんや甥御さんと親しくしていらして、お金の心配もなく(アパートを所有していらして賃貸収入があると聞いていましたのでね)、おひとりでお住まいだったのですが、丁寧に料理もしていらした様子でした。下の娘が熱で帰宅してぐったりしていた時、お世話になったこともありました。私の目には悠々自適なおばさまに映って、羨ましかったりもしました。年を取ることが悪くないと思えました。単に子育ての大変な日々から抜け出したい一心でそう思ったのではなく、穏やかに暮らしていらっしゃる、今をいつくしんでいらっしゃる様子が素敵だったからです。悠々自適でいいな~と感じていました。

これから先どうなる

年を取ることが怖いと思うことがあります。要するに、これから先どうなるんだろうという不安、老後の不安です。経済面に関することが大きいですが、この先に起こることに対処できる自分の裁量を疑ってしまうことから来る不安でもあります。こうありたいという自分の姿ではない現実を生きているところからも多少自己肯定感が侵食されてもいるため、年を取ることが怖くなります。

このままではだめとわかっていつつも身動きが取れなくて、何もしないと滅入る、何かしても無力を感じるというネガティブ・サイクル、最悪です。

一層、年を取ることが怖くなってくる、このままでいいの?と自分の中から声が聞こえてくるようで、先行きの不安と相まって迫ってきます。

心配は毒

確かに。心配しても案じても現状は変わりませんし、いいことなど決してありませんものね。かつての悠々自適のおばさまもはたから見たらそうだったとしても、内に秘めた懸念や心配があったのかもしれません。人知れず苦しんでいることもおわりになったかもしれません。他人を羨ましがって自分を惨めな境地にすることほど愚かなことはないです。

では、心配、負の境地から抜け出そう。行動しよう。どんなに些細なことでもいいから。そう思ったところで年を取ることが怖くなくなりました、少しですけど....。

少しづつでも前に進めたらいいです。心配事から自由になりたいと今の状況を嘆くことからは何も生まれないですもの。

育てているバジルの葉にここ数日小さなバッタがいつも同じ場所にいます。バジルの葉に穴がいくつも開いていて、食べている様子でもあります。いいよ、思う存分お食べ。たくさんあるから将来の心配しないでいいよ、そうバッタくんい話しかけました。
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年を取ることが怖くなくなる時、これからのほうが楽しみになれるように、まずは嘆かないことから始めます。

それから、もう一度なりたい自分を具体的にイメージすることからとりかかろうと思います。

生きているだけで丸儲け!

毎朝目覚めたとき

今朝は昨夜のチーズケーキの食べ過ぎのせいで胃がもたれて固形物をみるのも嫌という感じのかったるい朝でした。

昨夜上靭帯を痛めて体重をかけられない、つまり歩けない(松葉づえでやっと)上の娘のところを尋ねました。高校二年生の新体操の部活の発表会中、左靭帯を断裂、大学2年時のスキーで右靭帯を断裂している上の娘ですが、今回ボルダリングの着地の際に右靭帯を再度痛めたらしく、今後の治療方針も現時点では決まっていません。再度靭帯再建の手術をするのかどか...前の病院のMRIデータを頂いて、今度お世話になる病院にこれから持っていきます。

歩けない本人に代わって、本来は本人にしか渡さないというところを配慮いただき、母であることを証明する電話やり取りを数回繰り返し、私が取りに行き、娘のところに持って行きました。いろいろ思うところあるでしょうが、ゆっくりじっくり治療しましょう、とメッセージを送りました。娘にとって、士気が低迷している時期での追い打ちをかける形のケガであることは、まさに泣きっ面に蜂だろうと、メンタル面をとても心配しましたが、案外たおやかにしているのにほっとしました。しかし、私の前で気丈にふるまっていたのかもしれません。

まずは彼女のアパートのキッチンの掃除から手を付けつつ、娘が生きていることそのものがとても素敵なことだ感じました。

欲張り

自分に起こることは多少しょうがないとあきらめがつきやすいのですが、娘に起きることにはあきらめきれない心理、不思議です。ようするに、娘にはこうあってほしいというただただ一方的な望みから、どうしてこんなことになったんだろうと割り切れない気持ちになります。娘の幸せには欲張りになってしまうのかもしれません。でも、その幸せは決して本人にとっては幸せではない、この温度差が愚かな母親というところでしょうか。いい大学に入って、それなりの企業に就職して、規則正しい生活をする中で人生を謳歌して、、、という全く型に入った一見幸せである王道を思い描いていた自分がいました。欲張りになるなら、彼女が自分らしく輝ける、自己実現していける道をどんな形でもいいから応援することに欲張りになろう。

自分らしく生きようともがいている娘に私は何ができるだろう。

横田めぐみさん

今朝、横田めぐみさんの記事を読みました。
www.asahi.com

贅沢ばっかり思っている自分に気づきました。娘たちが生きていることが素晴らしいと思いました。

生きているだけで丸儲け! かつてあまりにも辛いことが重なって人魚姫みたいに消えてなくなりたいと思わず呟いたら、ある友人が「生きているだけで丸儲けさ。」と言ってくれたことを思い出しました。そう、そうだった! このスピリットを忘れていました。

生きているだけで丸儲け。

明確なイメージを描く:どうしてもこうありたい、こうなる!

怠けると心が虚しい、一生懸命に取り組むと自分の非力・無力を感じる

これってトホホ状態。言えてる。正にそう。何度こういう境地に陥ったことか。一貫してコツコツ続けるには、未来への信頼と忍耐が試されます。今やっていることが、将来のある時点で必ず実になるとしっかり信じられること、一寸の疑いもないことが最も肝心。それから、現状の未熟な状態に腐らず、忍耐深くいることも大事。

将来のある時点でこうありたいという鮮明なイメージを描くことでモチベーションが湧いて、持続的に維持できます。今はまだこんなんでもいつかきっと!!というエネルギーは、虚しさを払拭するだけの逞しい力があります。

思い描いたことが全て叶うわけではないですが、思い描かないことには何も始まりません。明確な「こうありたい」像と力強い「こうなる」思いを持つことから始めなきゃです。曖昧でふわふわしているからブレて不安になるのでしょう。どうせ私なんてのドツボに入り込んで動けなくなることもあります。

思いの強さで乗り切ってきたのは多少経験してきました。もう一度この強い思いを今度はしなやかに育んで、明確なゴールを設定しようと思います。人生まだ諦めたくはないですもの。いくつになっても変われると信じています。

先の希望が見えなくなった時

「大丈夫よ。何とかなるから....」
何の根拠もなくそう言われて、幾分心が軽くなったことがあります。何の根拠もないのは説得力に欠けますが、ふと一瞬でも心が軽くなったことは確かでした。そうよね、何んとなかるよね、この状態が長く続くことはない、明けない夜はない。そう思えました。こう言ってくれたのは母でした。元来、てんねん系のおおらかな母です。母はこうして様々な苦難をたおやかにに乗り越えてきたのでしょう。乗り越えるというよりも、すり抜けるという感じでしょうか。

小さい頃の自分に戻って、親からどんな言葉をかけてもらえればうれしいかを思い浮かべると心が軽くなるというメッセージをいただきました。これからどうなるんだろうという漠然とした不安に襲われている中で、特に差し迫った危機もないのですが、明るいことが未来に思い浮かぶことができないでいます。そこで、「大丈夫、何とかなるから…」を思い出してみました。

私自身は娘たちにどんな言葉をかけてきただろうか。娘たちには、私の言葉が響いたことがあっただろうか。何かしら励みになっていることがあるだろうか。

どんよりした気持ちに打ち勝とうと無理せず、自然体で半ばこのどんよりにも身を任せる形で今をすり抜けよう。何とかなるから大丈夫と信じて。娘たちが元気で生きていてくれることそのものが、素敵なこと。

上手に今を過ごしたい:スイスに負けない奥多摩!

自宅から2時間でスイスに匹敵する自然と邂逅!

梅雨入り前に緑濃い季節を堪能すべく奥多摩へ行ってきました。JR青梅線の最終駅である奥多摩で下車、奥多摩から鳩ノ巣駅まで歩きました。これまで御嵩駅から遊歩道を歩いたことはありましたが、このルートは初めてです。奥多摩から白丸を経て鳩ノ巣までの道は、整備されている御嵩から沢井/軍畑への遊歩道とは違い、途中私にとっては結構ラフ!と思わされる箇所もありましたが、思いっきり堪能しつつ完歩しました。川沿いの山道、ロッキーな岩場、吊り橋等を歩きながらエメラルドグリーンの奥多摩の川の色に始終心が奪われる思いでした。不思議なほど緑色の川に幾度となく立ち止まって見入ってしまいました。自宅から2時間ほどでこの自然に出会えるなんて、思い切って出かける決心をした自分を誇らしくさえ思えました。

コロナの影響から自宅待機が続いています。PCで社メールを見ていますが、会社の同僚と直に話すことはありません。こうした生活が2か月ほど続いていると飽きてくるというか、物足りなさ感のようなものにも時として襲われます。これから先の不安も否めません。雇用が守られるだろうかという不安もありますが、これからの将来どうなっていくのだろうかという、いわば漠然とした、いいようのない先行き不透明感に混沌としてしまいます。

粛々と毎日のルーティーンを片付ける日々が続いていた中で、よし、リフレッシュしよう、日常や心配事から自分を解放しよう、甘やかそうと思い切って行動しました。決して大げさではなく、奥多摩の自然はスイスに匹敵する級のダイナミックさを備えています。一泊鳩ノ巣荘にお世話になりました。
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奥多摩に来てるのよ。スイスに匹敵するほどの絶景よ。」と娘たちにメッセージを送りました。本当は一緒に行きたかったな。いつか一緒に来れるといいな。温泉もあるのよ。そうした気持ちも込めつつ、奥多摩の自然の素晴らしさをシェアしたくて写真も送りました。いつもは既読までに数時間から数日かかるところですが、不思議にも二人の娘からその日のうちに返信がきました。「30度あるから気を付けてね」と下の娘、「Enjoy Okutamaaaa....」と上の娘。とても嬉しくなりました。短くも暖かい思いやりあるそれぞれの返信メッセージに、ただただ嬉しくて嬉しくて、何でもないことでしょうけど、私にとってはかけがえのない宝物と同じくらい意味のあることです。

離婚して様々な局面で負担をかけてきたと思います。父親不在の中、不自由な思いや物なりなさを感じさせないようにと父親と母親の両役をこなそうと我武者羅になっていた時期もありました。懸命に、あるいはまた、賢明に努めようと突っ走っていた若かった自分には見えていなかったことも多々ありました。こんなママでごめんねという気持ちはいつもどこか心底にありました。私の人生に巻き込んでしまっている、普通ではない環境で育ってきたことで、しなくてもいい辛い思いもしたことでしょう。お互いを批判しつつ、大ゲンカもしました。いろんな思いにくしゃくしゃになりながらも、娘たちのメッセージに奥多摩の自然がより優しく心に響いてきました。

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潰されてる場合じゃない、滅入ってる場合じゃない、たおやかに生きよう。ふんわり自然にそう思うことができました。これが、今回の奥多摩一泊旅で得た一番の収穫です。

子育てに答えはない...終わりも...ない...?

心配でたまらないよの....

先日母から電話があり、娘たち(私の母ですから母にとっての孫たち)、特に上の娘のことが心配で、気がかりでたまらない様子でした。携帯に数度電話したけど出なかったことから、私に電話してきたわけです。2週間ほど前にボーイフレンドと家に寄ってくれて一緒にランチをして以来、私も特に連絡をしていません。LINEのメッセージも、既読になるまで数日かかることもある彼女ですから、心配が募る、多少イライラも募るのは私としてもとてもわかります。便りの無いのは良い便りといいますけど、やはり心配になります。

母をあまり刺激させたくもないので、2週間前なのを1週間前と故意的に事実を曲げて伝えました。「一週間ほど前にボーイフレンドと一緒に来てくれて、ここでランチした時は元気だったから、大丈夫だと思うよ。私から連絡してみるから。」

母は私のことをちゃん付けで呼びます。久しぶりに聞いた母の声は昔と変わらず穏やかで、80を超えている婆さん声ではなく、一瞬、高校生の時の気分に戻りました。ほんの一瞬ですが、ふっとあの時と同じ心持となりました。50を超えている今の私でも、母の前では娘です。私をちゃん付けで呼ぶのは母だけです。

ママには私の気持ちはわからない!

上の娘にそういわれたことがあります。良かれと思って懸命にやってきたことが、実は彼女を苦しめていたのかと思わされる、ズキッとくる言葉でした。かつて私も子供だったことを忘れて、大人になり、社会人となり、母となり、立場が変わったことで、子供の心を忘れてしまっているいる面もあります。忘れているというよりも、その点を見ようとせず棚に上げて、娘にはこうあってほしいという一方的な親としての欲から接してしまうのでしょうね。押し付けてきたということは毛頭ありませんが、こうあってほしい方向に誘導してきたというか、願いを言葉や態度で多かれ少なかれ表現してきたのでしょう。彼女の成長を純粋に楽しむことが、私にはあっただろうか、いつも期待ばかりして、そのままの彼女を包み込んでいただろうか、いろいろ頭をよぎりもしました。

ママはこんなママでも、誰よりも貴女を愛し、世界を敵に回しても貴女のためなら何でもやれるよ。そうこころで叫びつつ、一方で、あなたにもママの気持ちはわからない、なんて子供じみた思いも否めませんでした。この点は仕方ないなとトホホの境地で行き場のない気持ちでどんよりするしかありませんでした。

かつて私も母にこういう思いをさせたのだろうか、と娘から放たれた言葉に当惑する中、子供だった頃の母への自分を思い出す瞬間も訪れました。親の心子知らずという表現がありますが、子の心親知らずとも言えますかしらね。

親子といえども、人間関係の一つの形です。縁あって親と子として出会えたのですもの、愛おしく絆を培っていきたく思います。

生きる指標 生きる糧

高校生の頃、母を喜ばせたい一心で勉強をしていました。もちろん、自分の将来のことも考えていましたけど、心のどこかに母に喜んでもらいたいという思いがあったのは確かです。自慢の娘でいたいというようなことではなく、単純に母が好きだったのだと思います。大げさかもしれませんが、母に喜んでもらいたいということが生きる指標でした。

娘たちがいたから、私は生きてこれた、私でいられたと感じています。彼女たちがいなかったら、生き抜く力はあったかどうか疑います。女は弱しされど親は強しと聞いたことがありますが、まさにそう。娘を育てるというミッションが与えられたことで、人生に果敢に取り組めた、取り組めていると思うのです。生きる糧であることは間違いありません。

子育てに答えはないと思います。それぞれの形があるでしょう。そもそも答えを求めるものではないでしょう。物理的、身体的、経済的な観点からの子育てはある時点で手を離れることはあるでしょう。しかし、子供のことが心配で気がかりでということ、思いやるということ、これからを案じたり、これからに希望を託したり、いろいろ...子育てには終わりというものがないようにも感じます。親子ですものね。

娘たちが生きているということ、それだけで幸せです。それぞれが守られていますように祈ります。何かあったらいつでも来て。今度あったら何を作ろうかな。何も考えず、心の赴くままでいられるような存在でありたいです。

走ることに疲れたらいつでも戻ってきて、走りたくなったら振り向かずに行きなさい。いつもここにいます。