Candygrace

Life is beautiful whatever comes.

先の心配に囚われないように...

過去に囚われるか未来に囚われるか

このどちらかで今という時間が台無しになってしまいます。過去の心配を悔やんだり、あの時別な選択と別な道があったはずというような思いに無駄にふさぎこんでしまうこともあったりで、一番嫌いなことなのに、困ったものです。水の入ったビンの底に泥が沈殿しているようなもので、外からの何かしらの衝撃でその泥の沈殿物は舞い上がります。何も刺激のない普段は、一見水は透明で泥は沈んでいて悪さしないものの、外からの刺激で舞い上がって透明だった水が濁る様子のイメージです。心底の澱。過去からの負の遺産みたいなもの。沈殿物の泥を逸機するのが得策でしょう。

陽気のいい日に、気分転換に外を散歩しました。娘たちが幼かった時に住んでいた最寄り駅に降りて、遠い昔散歩をした川沿いを歩きました。桜が散って緑が噴き出すように日々濃くなっていく中、心地よい風に、娘たちの笑い声さえ聞こえてくるように錯覚を覚えるほど、昔の瞬間を鮮明に思い出しました。少し心が痛みました。穏やかで静かな思いの中にしくしくするやりきれない思いも交じり、何とも複雑な気持ちになりました。それでも、母親であったことで、彼女たちがいてくれたことで、乗り越えられてきたことを感謝しつつ、おっといけない無駄に落ち込んでいる場合ではない、まだやること、やれることがあるはず、と自分を奮い立たせるのに妙に必死になってしまいました。

それでも、これから先がどうしても楽観視できない気持ちも払しょくできず、過去と未来に囚われている自分を認めざるをえない心境でした。何も考えないで歩こうと、意識を追いやる羽目に。なんたる散歩....トホホ。

どうしたらみんなを喜ばすことができるか考える!

「とうしたらみんなを喜ばすことが出来るか毎日考えるようにしなさい。そうすれば、憂鬱な気持ちなど吹き飛んでしまいます。反対に自分のことばかり考えていたらどんどん不幸になってしまいます」こういったのはアドラー

娘が置いて行ったウサギ?のようなぬいぐるみを持ち出して、ソファーにこうして座らせてみました。
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わたしにも出来ることがある! 信じて潰されないように生きよう。
無駄に塞いで今を台無しにしないように、今日一つでも自分との約束を守ろうと思います。

脳との上手な付き合い方

Chance favors the prepared mind.

脳はイメージしたことを本当だと受け取る性質があるそうです。病は気からというのも脳のそうした特性から引き起こされるのでしょう。できると思えばできる。安易にも聞こえるようですが、出来ると思って取り組むのと、出来ないかもしれないと思いつつ取り組むのでは脳の状態が違うのでしょうね。火事場の馬鹿力というのもまたこの脳の特性が大いに働いているように思います。土壇場に追い込まれた状態で、普段なら考えられない力を発揮するのですから、どうしてもこれをやらなやいけないという気持ちで挑むことで脳が応援してくれるのでしょう。そして出来ちゃったという結果になるのは、実に脳を味方にしたからです。

チャンスは準備した心に訪れる!これは以前にも取り上げたテーマです。チャンスが来るという脳の状態に置くことでチャンスに敏感になることができます。チャンスって気づかないだけで、1日に溢れているのかもしれません。
candygrace.hatenablog.com

脳と上手く付き合って最高の自分をイメージして一つ一つに丁寧に取り組み、一人一人に真摯に対応して、遠くにいる父母に感謝しつつ、娘たちがしっかり歩んでいることを祈りつつこれから始まる今日一日を過ごします。

思いは必ず伝わる!

ママの好きな歌やってるよ!

昨夜下の娘から1分の映像が送られてきました。イマジンをピアノで弾いて歌っているライブミュージシャンの映像でした。明日は月曜日かアと思いつつぼんやり本を読んでいた時でしたので、とても嬉しく思いました。上の娘と仲違いしている今、下の娘がこう思いやってくれると尚更身にしみるように嬉しくて嬉しくて、誰かが気遣ってくれているという思いがどんなに暖かいかをしみじみ感じました。

相手にわかってもらうことを期待して自分を釈明するように懸命に説明しようとしている自分がいます。ここから抜け出さなきゃです。
思いは必ず伝わると常々信じていますが、今こそしっかりそう信じて、揺らぐことなくしっかり立っていようと思います。

思いは必ず伝わる!だから上の娘が通ってきた、そして通っている今を遠くから思っていたいと思います。I cannot share about me with you any more....と言い放たれてクラクラきてしまいました。遠くに行ってしまいそうで悲しくもなりました。遠くというのは物理的にではなく、突き放されて心の結びつき的にdisconnectになることです。

彼女が自分の決断に責任を持って生きらあれますように。1分のイマジンの映像を何度も繰り返し観ながら、二人の娘を思いました。しっかり生きよ。

逃げ出してもいい!

なんとなく....

なんとなく嫌、なんとなく良くない気がする、といった「なんとなく」を誰もが経験したことがあると思います。”なんとなく苦しい”兆候を無視続けていると体も心もいつかは”なんとなく”から”確実”に”はっきり”苦しくなります。なんだかわからないけどなんとなく変、おかしい兆候は初期段階で治療するべきなのでしょう、体も心も。早期発見で大事に至らなかったことを病気の例で聞くように、心も「なんとなく」の段階で取り組むのが賢明なように思います。些細な嫌なことが積もり、ストレスが蓄積されるといつかは爆発してしまうことになります。我慢して我慢して、とうとう感情が迸る、溢れ出てくることは何度か経験しました。「なんとなく」の時点で心も体も黄色信号を送っているわけです。それを無視続けているとその“なんとなくの兆候”が当たり前というか普通のこととなってきて、鈍感になっていきます。鈍感になったからといって“なんとなく”が無くなったわけではなく、気づこうとしなっくなった、目を向けなくなったというだけで、“なんとなく”は確かに存在しています。黄色信号が赤信号に変わる直前かもしれません。赤信号にかわってもはや“なんとなく”ではなくなった時には体であれば時すでに遅しという事態にもなりかねません。病院に行く、通院となるという厄介な結果になるかもしれません。心の場合はどうでしょうか、修復に時間がかかるというのが一つ考えらるかと思います。

自分と向き合う:自分の気持ちを認める

なんとなくの段階でそのなんとなくの気持ちを自分で捉えること、認めることがまず第一歩のように思います。なんとなく苦しいをほったらかしにしている、そこから逃げていると、なんとなくに気づかなくなり、鈍感になります。また、こんなものでしょうという諦めモードでなんとなくを受け入れて、一見消化したように見えても、解消されていない、払拭されてはいません。蓄積されているにすぎないのです。時に苦しい自分を認めるのが嫌でつらいこともあることもあるでしょう。なんとなくから解放されたいですし、考えたくもないですから、そんなはずじゃないと自分を説き伏せることもあるかもしれませんね。自分の気持ちを否定するよう仕向けていることがあります。自分を励ましていると思い込んでいる状態でもあるかと思います。

本当の自分は心が悲鳴をあげているのに、こんなことで悩んで暗くなっていてもしょうがない、果敢に取り組んで前を向かなきゃ、みたいな状態とでも表現できるでしょうか。今の私が少なからずそうです。なんとなく~から逸れてしまいましたが、「なんとなく苦しい」の段階で自分と向き合って自分の気持ちを認めてあげるところに立ち返ろうと思います。自分で自分の気持ちを否定して、それでも頑張らなきゃ、取り組まなきゃと追いやるのではなく、苦しいと感じているのをなんとなくの段階で十分に意識して認識してみようと思います。なんとなくにすぎなくても、なんとなくではなくなる前に。

自分が一番自分のことをわかっているはず

こんなことにクヨクヨしていてはダメ。きちんと取り組んで解決すべき。逃げ出すことは無責任。そうやって絶えず自分と戦って、自分を励ましている、鼓舞して前を向こうとしているという構図でもあるのですが、辛さが薄れていくことはなく、むしろ、辛いと感じること自体に罪悪感さえ感じてしまいます。逃げ出したくなるのを必死で踏みとどまって、辛くなんてない、辛いなんて思うことそのものが間違いなどと思ってしまうのです。逃げたくなるのは当然なのよと言われた瞬間、物事の見方が変わりました。そう、逃げ出してもいいわけです。

逃げ出してもいいなんて、なんて無責任と思うこともあるでしょう。逃げたくなるのは、自分の感情を大事にしないからと指摘されたときにふと気づかされました。なんとなくの段階から自分の感情に素直に向かい合い、自分と向き合って、ああ今時分はこうしたことで辛いのね、悲しいのね、悔しいのね、いたたまれないのね、という具合に認めてあげるところからスタートです。そんなはずはない、そんなこと思っちゃいけないと無視したり、逆行するように仕向けたり無理することないとわかっただけでも、私の中で少しラクになったというか、そうだよね、やっぱりそうなんだ、それでいいよね、といった方に背負っていたリュックを下したような気持ちにもなりました。

「逃げてはいけない」とひたすら言い聞かせてきたところで、逃げ出したい気持ちは消え失せるどころか益々エスカレートします。逃げてもいいと思うと、自分の今がよりはっきり見えてきて、怖がっている自分、苦しんでいる自分を認めることで、状況がより客観的に見えてくるようになるのを感じました。

逃げ出してもいい!というより達観したとでもいうような、一段高いところから物事と置かれた自分を見ることで、状況への対応策、打開策が閃いて、導かれることがあると信じています。

ということで、今は心苦しいことに直面している私です、自信を失いつつもあります。だから、これ以上自体が深く進攻する前に、今は逃げ出そうと思います。

進化した働き方:中高年転職3倍!

好きな時に、好きな場所で、好きな仕事をする

「心が強い人の人生は思い通り」という主題メッセージを脳科学的、かつ、メンタル的に詳細に攻めている本を以前読んだことがあります。最近はキンドルで購入することにしていますが、この本はたまたま本屋さんに立ち寄った際に出会った本で、線や日付、コメントが書き込んであります。手元に置いていて、ダメかも〜とメンタルやられそうな時に、自分を鼓舞させるのに時折手に取る本でもあります。
やりたいことがあっても、自分には無理、能力不足、ハードル高すぎ、そもそもその方法わからない等、あるいはやりたいことって本当に私にあっているのだろうか、という迷い、、、やりたいこと、目的地でさえ明確さが薄れていくこともあります。心のブレーキをかけてしまう、不自由な思いにとらわれてしまう、意味なく焦る、焦燥感と取り残され感と孤独感に潰されるわけで、何もしないでじっとしているしかなくなります。選択と行動の結果が今という現実を生み出している観点から考えると、何もしない選択の結果は変化のない毎日の連続が帰結として待っているわけで、このままではいけない、このままでは嫌だという気持ちに反するため、心がもやもやします。でも動けない、そうした自分への嫌悪感も心底に澱見ます。

満員電車で会社に行く、会社という組織に縛られた働き方ではなく、自分の裁量で働ける環境・状況で、誰かの役に立ちたい、それで生活できるだけの稼ぎを得られれば、と以前から憧れていました。100年に一度と言われた世界的な金融危機が勃発した2008年、その渦中にあって同金融危機を目の当たりにして、その余波を経験してからは特にこの思いが育ってきました。好きな時に好きな場所で好きな仕事ができたら素敵です、本当に。

進化した働き方がいろんな形で台頭している今ですが、都合のいい時間に単発で仕事を請け負うスタイルを「ギグワーカー」と呼ぶそうです。コワーキングスペースも増えています。こうした新たなトレンドは今後も加速すると思われます。日本特有の雇用スタイルだった年功序列、終身雇用は減少傾向にあるようです。人生100年時代と言われる中、働き方の姿勢とスタイルが益々問われる時代となっているのを感じます。中高年の転職が活況で6年で3倍に増えているそうです。企業が赤字のため人員削減を行うリストラから、今や好業績下でも人員削減を進める企業が拡大しているそうで「黒字リストラ」という新たな潮流も生まれています。

生きにくい時代と捉えるか、生き易い時代と捉えるか、個人の裁量といったところでしょうか。

携帯とお財布忘れた〜

昨夜携帯とお財布両方を入れたポーチを会社に忘れました。定期で改札通過後、電車に乗ったら座れましたので、気持ちよく寝てしまいました。気づいたのは自宅に着いてから。しかも金曜夜で「やってしまった」感と多少のソワソワ感で、会社に戻ることも一瞬頭をよぎりましたが、明日にすることにしました。土日はオフのシフトですから、土曜日に私の姿を見ることはごく稀です。そっとオフィスに入ってサクッとポーチを取ってさっさと帰ることにしましたが、数人に「あれ、どうしたの。」と声をかけられ、その度に携帯とお財布忘れたことを照れ隠しに説明する羽目になりました。

それでも、土曜の朝、忘れ物を取りに会社に行くからには、前からやってみたかったことを今日やってみようと思いつきました。一人でカフェに入ってPC作業をする、読書をすることです。以前書いたように一人でファーストフードに入れないタイプの私としては、カフェで読書なんて憧れるものの実践したことはありませんでした。今日初めて!思い切って実行しました。こうしてこれを書いているのはスターバックスの電源席です。以前翻訳を手伝ったお礼に上娘からもらったスタバのカードが使わずに財布にあったのを使いました。スタバのカードですけど、娘が贈ってくれたものですもの、なんだか愛おしくて、色デザインも可愛らしくて大事にしていました。

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その上娘ですが、1年半の休学を経て大学に復学しましたが、自分らしさを追求する姿勢からでしょうか、私の目には身勝手と面倒くさがりに写り、公的手続き他諸々の面でイライラハラハラすることも多々、どうしようもなく悩まされることもあります。忍耐強く成長を待つ姿勢を示すしか今はなすすべがないようです。

彼女こそ、進化した働き方を追求していくタイプなのかもしれません、企業に縛られることなく、9:00−17:30の世界ではなく、裁量で開拓していきたいのでしょう。そのためにも大学卒業という基礎は固めてほしいところ、親ですね。

マナティ的進み方

野生のマナティをフロリダで観ることができましが、究極のヴィーガンで優しくたおやかなマナティがゆっくりゆっくり確実に前に泳ぐ姿を眺めながら、マナティのように生きたいと思いました。進化した働き方、自分なりのスタイルを焦らず、確実に構築して、展開してきたいと沸々と思っています。

Pain is there to tell us something. 痛みは何かを知らせるため....

ママ...お腹痛い。

夜11時過ぎに下の娘から電話がありました。「お腹の痛さがフツーではないの。息ができないくらい痛くなって、どこがいたのかもわからない....」息できないって、今電話で比較的キチンとこう話しできている、どこが痛いかって、少なくともお腹だから...胃じゃない、冷静に彼女の話を聞いていましたけど、やはり何かあったらと心はざわついていました。
「生理痛の可能性はある?痛いってどんな風に痛いの? 痛みは我慢する必要ないから、耐えられないようなら救急に行こう、ママついていくよ。」
「イブがあったから飲んだけど収まらなくて、でもママと話してたら少し痛みが引いたかも....11時半まで様子見る。痛みが戻って耐えられなかったら....」
そこまで娘が言ったのを聞いてから、かぶさるように言いました。
「手遅れになる前に病院に行こう、救急車を呼ぶことも出来る、痛さによっては。急性盲腸だったら破裂する前に.....」
彼女を怖がらせると、言った後に急に後悔し出したりもしましたが、痛さをこらえて急性盲腸だったのを放置したため、臓器が破裂して取り返しのつかないことになった話を思い出して、その恐れの方が勝ったわけです。
「救急車を呼ぶことに、そう抵抗をおぼえなくてもいいさ、本当に息もできないくらい痛くなったら連絡して、ママが呼ぶよ。」
片方の手で携帯で話しつつ、もう片方の手でPCを開いて近隣の救急対応病院をサーチしました。タクシーでまずここから徒歩20分ほどのところにボーイフレンドと住んでいる下娘のところに行って一番近くの救急病院に行こうと考えました。
「今からそっちに行くから病院にいこう。ママタクシーで行く。」
「痛みが引いてるから、もう少し様子見る、あ~~~痛みが引いてる、でもさっきは本当に痛くて、こんなの初めてだから....11時半まで様子見る。」
きっぱりそう言い切った娘に説得されるような形で同意し、痛くなったらすぐに電話をするように、痛みをこれ以上我慢する必要はない、ママが一緒に病院にいく、タクシーにしても救急車呼ぶにしても...そう伝えて取り合えず、電話を切りました。

夜中の02:00くらいまで起きていましたが、その後大丈夫のようだと明日の仕事に備えなきゃと寝ました。朝,大丈夫かのラインを送って大丈夫のようだと確認してほっとしましたけど、慢性盲腸だったら痛みはまた戻ってくる可能性もあるわけで、本日必ず病院に行くこと、症状をきちんと時系列的に説明すること、そう言って、時間外診療の病院の情報も伝えました。彼女の方でも調べていたようで、○○病院に午後、時間外でかかる、朝は大学に行くとメッセージがありました。とりあえず、安心しました。
「安心した--- 近いうちに近くのお風呂屋さんに行こう。体冷やすのが良くないよ。シャワーばっかりではなくてたまには湯船につかってゆっくり体温めないと。ママも一人だとシャワーで済ますから、お風呂行こう。」
「うん。」
6か月の時に熱性けいれんで救急車で病院にいったことを朝の通勤電話の中でぼんやり思い出しました。病院に着いた時には心停止していましたが、ほどなく心臓は動き出しましたけど、その間数分だったでしょうか、差し出された書類には手が震えて記入できませんでした。20年前のこと。

痛みは何かを知らせる兆候です。お腹が痛いのは悲鳴を上げている臓器がお腹のどこかにいることで、その臓器が調子が悪い、助けてと信号をおくっているわけです。我慢をするのも限界がありますし、これ以上我慢したらいけないという分岐点で判断する、行動するのも、自分に優しくあることと自分の管理をキチンとすることであることを娘は学んだでしょう。

痛みは放置しない、痛みは何かを知らせるため

心が痛くなることも、体の痛みと同様、放置しておくのはよくないでしょう。急性盲腸のように、痛みを我慢しすぎて臓器が破裂して厄介なオペとなる、よりリスクの高い事態に陥る、命の危険までにもさらされることになるように、心の痛みも放置して痛みを我慢しすぎていると厄介な事態と発展してしまうものです。痛みを逃すことではなく、痛みを根本から治療することが必須なのでしょう。痛みの原因がなんであるかを突き止めることが、娘の腹痛の対処法の第一歩でしたが、心の痛みの場合,大抵の場合その痛みの原因は自分が一番わかっていることでしょう。要はその根本原因を直視して見据えて受け止めることが対処法の第一歩というところでしょうか。この心の痛み、澱みはどこから来るのか、自分でも止められないけど不機嫌、不安定、心が沈む...どうしてかは自分でわかっているはずです。痛みそのものを受け止めるのには自分に優しくなる必要もあります。今自分は苦しいんだね、と。

人魚姫みたいに泡になって消えたいと思える日々があり、立ち直るというよりもこれからを考えるのが辛くて逃げていた時期がありました。それでも仕事はしていましたけど、心は死んでいました。何をどう指針にして生きていいのか、これからどうすればいいのかわからなかったからです。むしろ、これからどうしたいのかさえわからなくなっていました。痛みが治まる瞬間があっても津波のように押し寄せてきて時に耐えられなくなって...というのを繰り返している中で、自分に向かい合うことを避けていたように思います。静かにしていれば、津波はさっていきますから、じっと静かに去っていくのを待っていました。日々の流れに身を置くことで流されて、時が癒してくれると期待もしつつ、痛みに向かい合うことなく過ごしていた時期がありました。これも対処方の一つだと信じてね。

Pain is there to tell us something. このセリフをある映画の中で聞いた時、心に響いてきました。折しも、娘から病院に行ってお薬もらって飲んだよ、と連絡が入った夜でした。月経困難症、生理前にもなる排卵通とストレスからくる腹痛という診断でした。いわゆるPMS、私にも経験があります。大昔、ちょっとしたミス続きで顔色も悪かった朝、アメリカ人だった当時のボスから”Are you PMS today? Go home and get some rest."と言われたことがあります。若くてまだ今のように面の皮が厚くなかった小娘時代ですから、超恥ずかしいのと情けないのとで泣きべそをかいてしまいそうなのを必死にこらえていたら、"Everybody has a bad day. You'd better to take a day off before it gets worse. Do not worry..." そう言って理解暖かく接してくれました。優しくしてもらったことで、どれだけ心が救われたか、それからお休みをいただいたことで体もどれだけ休めたか、よく覚えています。

Pain is there to make us grow. 痛みは何かを知らせるためですが、その痛みから学べることもあると思います。

さて、お風呂行こうって約束した日ですが、インターンをしている会社にまだいるとのこと、夜までやっているフツーの町の銭湯ですが、30分しかいられないのも、夜遅くいくのも、何より一人で行くのもいやですしね、今晩は見送ります。

2日前には腹痛で息ができないと不安気に電話してきた娘が今日は夜遅くまでインターンとして頑張っています。病院に行って原因が分かって医師の処方したくするを飲んで働いています。そのことだけで十分今は心が温まりました。一人でもお風呂入れて入ろうか、とりあえず今晩はシャワーで済ませて明日にでも一人で銭湯に行ってみようか… 自分のために自分に優しくなることも時に大事なこと、甘やかすことも必要なことは分かっていますが、そのメリハリはまだコツをつかんでいないように思います。

痛みの経験は今の私に成長するのに必要だったと思います。そのおかげで今があると今は思えます。まだまだ格闘することもありますが、人生投げ出してはいられません。Pain is there to tell us something, and to make us grow. 近いうちに娘とお風呂(できれば温泉~スーパー銭湯みたいなところでもいい)にいければいいなと思います。

考えすぎるのをやめる:言い訳はしない、人にも自分にも。

「お休みありがとうございました。」

休暇から帰ってきたスタッフが久しぶりにブリーフィングに参加した際にまず初めに発する言葉です。「休暇中はご迷惑をおかけしました、申し訳ございません。ご理解、ご協力ありがとうございます。おかげ様で休暇を取ることができました、ありがとうございます。お土産をキャンティーンに置いておきますので、よかったら召し上がってください。」謙虚で美しい姿勢、いわば日本人らしい発想だとも言えると思います。外国人のスタッフがこう言っているのは聞いたことがありませんもの。休暇、要するに有給休暇と言うpaid holidayは当然の権利であり、お休みありがとうございましたという発想そのものが欧米には存在しませんから、当然です。その当然の権利である有給さえ取るのに躊躇を覚える、取りづらい空気感があるのは日本人であれば、いくらかわかるかと思います。もちろん、会社の文化にもよりますが、お休み中、人々に迷惑をかけてしまうという引け目という配慮が働くのがその大きな背景となっているでしょう。人生2度目、クリスマスから年末年始を日本以外で過ごしている今、私がまさに感じていることです。長期休暇をアレンジできたことを心から感謝していると同時に、休暇中の手配はしてきたものの迷惑をかけている、つまり、エキストラワークを同僚に与えてしまっていることで申し訳ない気持ちを否めません。

罪悪感なく楽しいことを楽しむように

過去にも取り上げたテーマですが、楽しむこと、お休みすることに罪悪感を感じない姿勢でいることって実は大切、これこそ、自分を大事にする根本姿勢です。今自分がしていることに罪悪感がよぎるのなら、自分のためにはなりませんもの。そこから微量でも発せられるネガティブなエネルギーが全てを侵食してしまう前に、楽しいと感じることを単純に堪能して心クリアでいたいと思います。

candygrace.hatenablog.com

自分を解放するプロセスで感性が研ぎ澄まされていくように思います。メリハリをつける生き方と言い換えられるでしょう。楽しむ時と休む時、それぞれ自分を尊ぶためですが、いつも感じることは、本当に自分を満足させられるのは自分だけだということです。”パーティーピーポー”でもなくお酒も飲まないテレビも好まない私ですが、海から登る太陽をぼーっと眺め、めずらしい種の野生の鳥を間近で観れたり、拡がるグリーンを散歩できたり、ピッチブラックの中で煌々と輝く星を見れた今回の休暇中の体験はプライスレスで、思い切って決断した自分に心地よく感じてさえいます。人生の目的はしごとでも結婚でも出産でにないですもの。本当に自分が満足できているのであれば、他人がなんと言おうとも邪魔されることはありません。こうした経験の積み重ねから自分であることの自信も培われてくるように思います。私は私でいいのだと言う静かで確固たる姿勢です。そうした自分であることの自信がある人は、他人を責めることもしません。彼らは彼らであることを認めることができます。決して人を無闇に批判したり否定するのではなく、孤独に鬱ぎ込むのでも引きこもるのでもなく、孤高にたおやかでいたく思います。群れませんが協調性がないわけではなく、パーティーピーポーではないですが、時に陽気にはしゃいで盛り上がりに参加するのは好きですもの。

海というとてつもなくダイナミックな大自然を前に年始に考えたことです。これからの生き方をさらに模索していく上で、人生を展開していく上で自分に正直な選択をしていこうと力むことなく自然に思っています。

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Melbourne beach_Florida_101020

自分の約束に忠実な人がいい結果を残す

以前セミナーに参加した際に講師の方がこう言われたのが印象に残っています。正直であるのは人にも難しいですが、自分に対してもかなり難しかったりします。やりたいことがあっても、仕事があるから、家族の世話があるから、お金がないから、時間がないから、今の自分には無理だから等いろいろ言い訳してしまいます。自分がどうあるか、どう生きるか、考えすぎて潰れることなく、誰かに遠慮して取り下げるのでもなく、自身で決めていけます。

考えすぎで小さく固まっていないでいればどんな状況も次のステップの足がかりとなる。これは娘たちに昨年送信したメッセージですが、はて、どこまで今の彼女たちに響いているかしら。私こそ、考えすぎで人生を複雑で深刻なものにするのはもうやめよう、言い訳はしない、何より自分に対して。