Candygrace

Life is beautiful whatever comes.

話したいという衝動に屈しない:考え抜いてから言葉にする

悪口は言わない・聴かない

 前職の会社で一緒に働いていた方が今の会社に転職されて、縁あってまた一緒に働く機会が与えられた同僚がいます。前職ではその方と上手くいっていなかったらしく、「一緒に仕事したくない」意向をつらつら話してくれました。

上司の前ではいい顔をする/プライドが高い/英語が稚拙/自己中心的…具体的なエピソードとともに、いろいろなお話を聞いてしまいました。というか聞かざるを得ないオフィス環境…ずっとおしゃべりされてるんですもの・・・聞いてあげなきゃという妙な気の遣い方もしてしまいましたし。「そうなんですね」という姿勢を貫きましたけど、早く終わらないかな…と心が悲鳴をあげそうでした。

悪口は聴いていてエネルギーを消耗してしまうような気がします。気を遣って疲れたということもありますが、多少の怒りとどんより感が伝わってくることで負のオーラでおおわれてしまう感じです。私も悪く言われていることがあるのかもしれないという視点で考えると、人を悪く言いたくなる衝動の抑止力になります、私の場合。自分のことを棚に上げて誰かをとやかく言うことは辞めようと思うわけです。謙虚な気持ちに戻れば、まずは悪口は言葉に出ません。

それでも~「全くも~、やってくれるよね」「わかってくれない!」等の出来事は仕事上でもプライベートで起こることで、思わず「ちょっと聞いてくれる! ○○さんってね、まったく失礼しちゃう….」と言いたくなる! そこで、その点を分かってくれる、同意してくれる聞き手がいると聞き手も悪口発信者側となって盛り上がってしまうこともあります。「そうだよね!私もXXXXのことがあったのよ~」なんてね。悪口で盛り上がるのは痛快だったりもします。政治家の悪口で盛り上がっているコメンテイターのようなものです。

 

しかしながら、人を悪く言うのは 辞めようと思います。話したいという衝動に屈せず、自制を働かせるよう努めます。できれば、聴くような場にも居たくないと思います。

 

言葉の力

 言葉って本当に力があります。アファメーションとは自分自身に対する肯定的な宣言ですが、言葉の力で建設的な前向きな力がみなぎってくるのがわかります。「キレイになりたい」ではなく「キレイになる」と断定することで健全な思考や行動が自然に生み出されるのです。言葉の力ってすごい。

 と、同時に、発せられた言葉は目には見えませんが消えないものでもありますから、心に刺さって奥深くに沈み込でしまう棘のようになることもあるようです。普段は痛まない、悪さをしない心奥に刺さったままの棘が何かの拍子に痛み出すこともあります。言葉の棘って怖い。昔言われたことを思い出して落ち込むというPTSDのようなものですが、かつてと同じような威力でぐいぐい迫ってきて心が萎えます。思い出すのがバカ!という見方もありでしょうが、自分でコントロールできなくなることもあったりしますもの。そんな時はとにかく、アファメーションで乗り越えていく、大丈夫、もはやかつての自分ではないことを自分に言い聞かせ、自分には幸せになる権利があると信じます。言葉の力で。言葉って本当にすごい。今私は独りで暮らしていて、言葉を発してくれる人が側にいませんので、書籍から活字のかたちで言葉からの力をもらいます。

 

ですから、自分自身が発する言葉にも配慮と思いやりを持つようにしないといけません。私の発した言葉が誰かの心の棘となってしまっているのであればと思うと心痛いですが、かといって、いつもいつもおどおどして躊躇して言いたいことも言えない、言わないというのではありません。考えてから発するという姿勢でいたいと思うのです。

 

チェックリスト3点

 言葉にする前のチェックリストとして以下3点、チェックリストといっても心の中で瞬時に行う作業ですが;

言葉に発しようとすることが

 i) 必要で

 ii) 真実で

 iii)思いやりがあるかどうか 

というのを意識レベルを上げて考える姿勢を持ちたいと思いました。

 

考えてから一呼吸おいてから言葉にするという姿勢を今一度見直そうと思います。

それから、私は’声がでかい’らしく、’声がよく通る’らしく、留意しなければならない点、意識レベルをあげなきゃいけない点でもあります。

 

慎重に言葉を選び、ソフトに話す気品を培いたいと思います。