自分との対話*こんな時どうする? これからどう生きる?
自分の重圧から解放されたい
嫌なこと、不快なこと、心配なこと等心がざわつくことが起こった時、それが仕事の上でもプライベートなことでも頭から離れないことがあります。何時間も何日も。
うだうだと考えて、どうしても頭を離れず、あるいは良くない方法のシナリオを想像することもあります。これだけはさらなるマイナス思考の深堀となるのだけはどうにかくい止めるようにしていますが、自分の不甲斐なさ、稚拙さ、能力のなさ、追い込まれた状況、もういろいろとにかく自分に関わること全般が自分にとって良く見えない、良く思えないモードに陥ってしまいます。
「ま、いいか」で片付けられない心境。これから好転する、いい方向に向かうと簡単には信じられない心境。
自分の重圧から自由になりたいと単純に思ってしまいます。
生きることの責任
人魚姫のように泡になって消えたい、と思っていた時期がありました。要するに生きることの責任放棄。死んだら悩む必要ないもの、ラクよね、という安易な逃げ。それでも逃げたくなる、解放されたくなることが今でもあります。
伊集院静氏の著書「大人の流儀」の中で、生きることの方がよっぽど難しく辛いことだけど、生きることときっぱり言及なさっていた簡潔で潔い言葉を思い出しました。多くの人々が多くの著書で語っていることですが、伊集院氏の人となりが伝わって心にぐっとはいってきたのを覚えています。
自分のふがいなさが嫌になった時、生きる責任が重すぎると感じる時、どう振るまえばいいでしょう。こうした自分をどう処せばいいのでしょう。
じっとして抗わず、そうした気持ちが去っていくのを待つというのもありかもしれません。津波も押し寄せて来ますが、引いていきますから。
自分との対話
どう生きるか、というと問題が大きすぎなので、とりあえず、今日どう過ごすか、どのようなマインドセットで過ごすか....塞いだ気持ちに支配されたままでやり過ごしたくないですもの。それでも、無理に追いやるような無駄な抗い、抵抗も無意味。そもそも塞いだ気持ちは心から出ていきませんから。
ハイヤーセルフ、せめて自分は今の自分を見放さないで。