Candygrace

Life is beautiful whatever comes.

一日は小さな無数の決断で成り立っている

決断を居心地よく生きる

 

日々の生活の中でも決断をしつつ暮らしています。何を食べるか、何を買い物するか、どの仕事から手を付けるか等、もっと細かく具体的レベルでは:

ジムに行くか映画を観るか犬と散歩にいくか

アイスを食べるか辞めておくか

友人に連絡して相談するか辞めておくか

洋服を処分するかどうか

お風呂を洗うかどうか

決断に際して直感で決めれる(この場合は即決のことが多い)時とグズグズする時があります。例えばジムに行って運動するほうが遥かに建設的な時間の使い方で体にもいいことはわかっているのですが、面倒くさい、外寒い、準備が億劫、ちょっと疲れている等々で安易な家でゆっくりする(Netflixで映画見る)方を選んでしまいます。早めに帰宅できて、愛犬と夜のお散歩に行く時間的余裕があるのに家に帰ってきた安心感とズボラしたい甘えから、家に居ることを選んでしまいます。毎朝散歩に行っているからいいよね、みたいな罪悪感をかき消すような大義名分で自分を正当化します。

 

その決断に気持ちよさがあるかどうかが一つのベンチマーク。選んだ方を後悔なく楽しむこと、次の決断につなげることで一つ一つの決断を居心地よく生きることがコツ。

 

迷うことと迷った末に選んだ方を後悔する過ごし方 、(やっぱりジムに行けばよかった、アイス食べなきゃよかった、お風呂洗っとけばよかったという風に)が積み重なるのはとてもよくない。幾度となくこういう気持ちにもなりましたけど、選んだ以上気持ちよく潔くその決断で行動することがいい。そして、次の決断いつなげる。このマインドセットは訓練のようにも思います。

 

同じ決断でも気持ちよくあとくされがない場合とやっぱりこうすべきじゃなかったという気持ちが起こってくる場合とがありました。つまりジムに行けばよかった、散歩に行ってあげればよかったという風に家に残って映画を観るという安易な行動を選んだ自分をを責めるわけです。でも、映画を観つつもワンコと向き合って遊んであげて、寄り添ってまったり過ごしつつ、勇気づけられるいい映画を観ることで、家に居ることを選んだ安易な決断でも気持ちよく有意義に過ごすことはできるもの。ジムには明日いけばいい。

 

ジムに行った場合、いい汗かいて運動したという充実感で帰宅したらお留守番で待っていてくれたワンコと過ごせばいい。週末にはゆっくり長めに遠出して散歩しよう。

 

アイスを食べるか辞めるか、今日は自分を甘やかすのか厳しくいくのか、今日はどちらが気持ち良く過ごせるかしら。

 

友人に相談する域まで自分の中で納得のいくところまで来ているかしら。

 

過去2年着なかった洋服、この先着ることがあるかしら。

 

お風呂洗うと湯冷めしそう、明日にする or 今晩サクッと済ませちゃおうかしら。

 

小さな一つ一つの決断で一日が成り立っているようなものです。その一つ一つを気持ちよく過ごしていくことでトータルの一日をいい日にして、次の日につなげていけるといいです。