Candygrace

Life is beautiful whatever comes.

Act as if I am and I will be. **未来の自分で今を生きる**

思考の行きついた先の決断

上の娘がやっと小学校に進級、下の子は幼稚園の年中さんの時、いわいる専業主婦をしていて仕事から離れ6年ほど経っていました。そんな折、離婚する人生の流れとなりました。一時は家族として再構築していく、支えていく決意で前向きに真摯に取り組んでいたのですが、次々に起こること(ん....いつか活字にすることが、ブログに書くことができる時が与えられたら...)が子供たちにとって良くない影響が増えていったこと、私自身にも心理的難聴や突然顔が赤く含む(全身性エリテマトーデスのよう)症状でステロイドをうったりと心身ともに”何かおかしい”と悲鳴を上げだしたことで そういう流れとなりました。気持ちはしっかりしていたのですけどね。

ある日突然よし決めた!という風に決断したのではなく、時間はかかりましたけど、すんなり思考の先に自然と行きついたという感じでした、私の場合。

先行き不安と惨めな現状

まずは職探しから。前職には戻れるはずもなく、派遣やパートでもいいからとりあえず残業の少ないところという条件を最優先させて探しました。慰謝料が見込めない前提でしたので、自分でなんとかするという意気込みだけで進んでいた感じでした。運よく大学職員という比較的自由の利く、残業のないパートの仕事を得ることができて、とりあえずブランクを取り戻すべく必死でした。PC作業(Word/Excel/PPTなんて全くできませんでしたからね)は本で試行錯誤しながら、同時並行でもっとお給料のいい正社員のポジションを模索しながら、とにかく自分で二人を育てる!という固い決意と確固たる意志で毎日生きていたようなものでした。

そんな時、かつての同僚に偶然会い、思わず惨めな自分を痛いほど感じてしまった一瞬がありました。輝いている彼女。ご自分の実家のすぐ近くに家があって、子供の面倒を見てくれる環境が整っている、かつ、ご主人の理解があるということで仕事を続けている人でした。私から見れば、全部が整っている人、点は二物も三物も彼女に与えている、と思わず感じたのを覚えています。

先行き不安は時々浮上していましたが、そこになんだか自分の現状を見つめざるを得ない機会を与えられて、どっと惨めになってしまったのです。不安と惨めの二重苦。この気持ちから抜け出さなきゃとどこかで妙に焦りもしました。そんな時にある書籍から出逢ったフレーズがAct as if I am and I will be.「なりたい自分で今を生きる」というものでした。

ビジョン*なりたい自分像

毎日を回すのに必死でしたから、将来のことを考える余裕などありませんでした。これから先大丈夫かしらという不安に襲われるたびに、それに負けるととことんまで落ち込んで明日仕事に行けなくなる,,,とぐっとブレーキをかけ、目の前のことに専念するよう自分を持っていくようにしていました。

将来こうありたいという未来像を自分の中で作り上げる作業、ビジョンを描くマインドを持つのも一種の訓練が必要です。漠然としたものと具体的なものと、短期的なものと長期的なものとがあります。いつかきっと。。。という思いが励みになる時と、現状とのギャップに疲弊することもあります。それでもあの時出会ったこのフレーズで当時を乗り越えられたのは一つの経験からくる自信となってもいます。

 

今また試練の最中にあって、あの時のこの言葉に支えられたエネルギーを思い返しつつ、”Act as if I am and I will be.” のビジョンを思い描こうと踏み出しているところです。根拠のない自信にあふれていた若い時とは違いますが、Life is beautiful in any given stage of life. 

 

クリスマスツリーの飾り

先ほど引き出しの整理をしていましたら(洋服ダンスや本棚の整理って突然したくなる時があります、いらないものを処理して整理整頓ができると、それなりの充実感があって好きです。「部屋は心を映す鏡」というのを言えてる、確かに、と心から思います。)かつて家にあった2メートルを超す大きなクリスマスツリーに飾っていたオーナメントを見つけました。数少ないものだけ選別して取っておいたもの。ト音記号は上の娘が16分音符は下の娘がそれぞれ選んで買ったものです。

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受験や部活や友だちとのお付き合いや人生が拡大してどんどん自分の世界を拡げていく中、ツリーを飾るのも片付けるのも私の一人仕事となってしまい、ここ2年ほどはツリーも失い、飾ることはありませんでした。

いつかまたツリーに飾れるといいなと思っています。その時は娘たちとたおやかな時間をひと時でも過ごせるといいかな。

 

凹んで怖気づいているのはもったいない。なりたい自分になるのをやめること、諦めることは死んでいるようなもの。こうありたいという自分になる/なれる。自分を信じて、一歩ずつ動こうと思います。

Act as if I am and I will be.